ソロでレコードデビュー、フォーク・グループ「タウン・クライアーズ」での活動等を経て、1964年、クラブ「マトリックス」を開設、ポール・カントナーとの出会いからエアプレインを結成。独特なハイトーンボイスを持つシンガー。R&Bも好み、初期のエアプレインでウィルソン・ピケットの「In The Midnight Hour」、1970年頃にはシル・ジョンスンの「You Wear Your Dresses Too Short」をカバーしている。1971年に一時脱退し、サンフランシスコ・バンドの「グルートナ(Grootna)」をプロデュースし、自身のバンドである「ボデイシャスDF(Bodacious DF)」でアルバムを発表した後、ジェファーソン・スターシップに復帰。ソロ転向後は1981年に「ハート悲しく」(日本ではオリコン洋楽シングルチャートで1981年10月19日付から7週連続1位を獲得[6])などのヒットを放った。ジェファーソン・スターシップにヒット曲を提供した友人、ジェシ・バリッシュのアルバム2枚でプロデューサーも務めている。ソロ・キャリアでの成功もおさめたが、セッション・ミュージシャンを従えた完全なソロ・シンガーとしての道は行かず、常に気心知れたバンドで歌うことを選んだ。結局、1993年よりジェファーソン・スターシップに再合流し、ソロ活動も並行して継続。画家としても制作活動を行っていた。