『クレイジー音楽大全 クレイジーキャッツ・サウンド・クロニクル』の発刊記念として、著者・佐藤利明がスペシャルゲストに吉田照美を迎え、クレイジーキャッツの音楽を語り尽くすトークショーが東京・神保町の書泉グランデにて9月6日に開催されています。当日のレポート到着
写真左より 吉田照美氏 佐藤利明(著者)
『クレイジー音楽大全 クレイジーキャッツ・サウンド・クロニクル』発刊記念として、著者・佐藤利明がスペシャルゲストに吉田照美氏を迎え、クレイジーキャッツの音楽を語り尽くすトークショーが東京・神保町の書泉グランデにて9月6日に開催された。
当日は書籍「クレイジー音楽大全」に掲載されたクレイジーキャッツの資料画像や、貴重な音源・映像資料を駆使してその音楽的な魅力にスポットが当てられた。加えて本書の肝となるクレイジーキャッツそのものの成り立ちや、その時代背景など、著者が実際にメンバーや関係者から得た証言やインタビューをベースに実に立体的な構成で解説された。
佐藤利明(以下佐藤):こんばんは、オトナの歌謡曲プロデューサー、娯楽映画研究家の佐藤利明でございます。お手元に届いておりますでしょうか、「クレイジー音楽大全」〜みんなまとめて面倒みよう〜ということで、クレイジーの楽曲をほぼ99%網羅しました。なぜ1%足らなかったのかも後でお話しします。今日は僕が最も尊敬する、頼りになる、ラジオの世界では<兄貴>という存在の吉田照美さん、リアルタイムのクレイジーキャッツ・ファンの吉田照美さんにスペシャルゲストでお越しいただきました、照美さんどうぞ。(場内大拍手)
吉田照美(以下吉田):若い人がいないんだね、この会場には(笑)。いわばクレイジー・リアルタイムの人ですよね。でも佐藤さんは少し遅れてきた世代だと思うんだよなぁ〜そこがちょっと不思議で。
佐藤:照美さんは昭和26年生まれ──ということは、クレイジーキャッツの「スーダラ節」が出た36年には10歳。まさしくオンタイム。
吉田:ど真ん中、リアルタイムのヒーローだね。力道山と植木 等だからねその時代は。力道山はその後衝撃的な事実を知ることになってくるんだけど、でも凄かったよね。
佐藤:で、今回の『クレイジー音楽大全』というのは僕の中で完結編なんですよ。
吉田:読みましたけど、異常者ですよこの人(笑)、おかしいよ、“お前、見てたのか?”ってくらい細かい。どうかしてますよ。(場内大爆笑)
佐藤:ちょっと、マーべル・スタジオの力も借りて(笑)。
吉田:打ち合わせでも話してたんだけど、『クレイジー音楽大全』は沢木耕太郎の、浅沼稲次郎暗殺事件を題材とした「テロルの決算」っていう大宅壮一ノンフィクション賞を獲った作品と同じような構成なんです。社会党委員長の浅沼稲次郎と右翼の少年山口二矢の二人の流れを時系列で追っていって、最後に交錯するっていう凄い流れなんだけど──それ的です。(クエンティン)タランティーノの「パルプ・フィクション」もその描き方ですから。
佐藤:よくわかりましたね、ああいう描き方は映画的なんです。
吉田:この本には、そういう細かいクレイジーのメンバーの交錯が、<佐藤利明、どこで見てたの?>って感じで書いてある。
佐藤:実はこれには流れがあって、21年前に出した本が「無責任グラフィティ クレージー映画大全」。
吉田:当時はまだクレイジーの色が残ってる時代。
佐藤:当時はビデオやレーザーディスクでも全部は出てないから、映画が全部で何本あるのかも皆分からなかった、インターネットもないし。そこからデータを全部作ったのが1997年。そして、次はテレビだろう──と2010年に作った本が「植木等ショー!クレージーテレビ大全」なんですね。この2冊とも売れまして、現在は品切れ。僕はこの後、東京新聞に連載した犬塚 弘さんとの連載「この道・犬塚弘」をまとめた「最後のクレイジー 犬塚弘 ホンダラ一代、ここにあり!」を出して、クレイジー関連書籍は完結した──ということだったんですが、たまたま昨年秋に出演した四国放送のラジオ「日曜懐メロ大全集」でクレイジーキャッツ・ファンクラブの大先輩・田村耕一さんから、“次はクレイジー音楽大全ですよ!”って言われて、じゃあ作ろうかと。
吉田:そこから?
佐藤:それで、この企画をそのあと最初に会った出版社の人に言おう──と思ってたら、たまたまタブレット純のライヴでこの本の編集の人に会って、そこで“こんな企画があるんですよ”って言ってできたのが『クレイジー音楽大全』。そうやって21年かかって完結した物を、今日集まっていただいた皆さんが手にしてるわけです。
吉田:いやぁクレイジーを生で体験した人が読んだら涙チョチョ切れちゃうね。
佐藤:この本は僕が植木さんや谷さん、犬塚さんと、いろいろとお仕事をさせていただく機会があって、そこで得た色んな話を伝えようとして。
吉田:だからノンフィクションになってるんだよね。
佐藤:その手法を初めてやろうということで、参考にしたのが、実は映画『アべンジャーズ・インフィニティ・ウォー』なんです。あれってヒーローがいっぱい出てくるでしょ、アイアンマンもドクター・ストレンジも均等に描かれていて、皆の見せ場があってしかも2時間半で全員出てくる──その手法でクレイジーの七人が描けないかと。だからこの本は『アべンジャーズ・インフィニティ・ウォー』を観てから書いた──つまり5月以降に書いたんです(笑)。
吉田:よく書けたね〜すごいね。
佐藤:この本、実は「スーダラ節」が出てくるまでに100ページ以上あるんです。で、飽きないように最初にクレイジーキャッツ全員のサインが入って、そこからはカラー・グラビア。普通ジャケットなんかちょっとだけ見せて終わりなんだけど、これはなんと80ページでどーんと載せて。中には植木さんの選挙ポスター・パロディの写真(1990年「スーダラ伝説」のプレスリリース)も1ページ全面で掲載。
吉田:この写真の頃「やる気MANMAN!」(文化放送)にゲストで来ていただいて、嬉しかったなぁ〜植木さんには二回お会いできた。
佐藤:80ページそういうのが載っていてすごくお得で、読んでる方もお腹いっぱいになって。オードブルで満足していただける作りになってます。
ここから本書掲載の写真をプロジェクターで映し出しながら、クレイジーキャッツのメンバーのそれぞれの出会い、すれ違い、交錯のエピソードが映画『アべンジャーズ』を観ているかの様に解説された。
佐藤:昭和22年の1月にハナ肇さんと植木 等さんは出会うんです、それはお互いの証言で残っているんですけど、その辺りのことを時代と共に描いていきたい──ということで、僕が観たかった時代にタイムスリップさせていただきました。この二人が16歳と19歳で出会って、たった一ヶ月同じ空間にいて、またバラバラになって4年後にまた同じバンドで一緒になって再会するんです。それが萩原哲晶とデューク・オクテット。ハナさんがドラム、植木さんがギター、そしてリーダーでクラリネットの萩原哲晶。萩原さんは「スーダラ節」「遺憾に存じます」「ホンダラ行進曲」「だまって俺について来い」他数多くのクレイジー楽曲を作曲した方。この方々が昭和25年に出会ってるんです。これはお伝えしないわけにはいかない。それで次の登場人物が昭和28年、一流のジャズ・バンドの原 信夫とシャープス&フラッツに入った谷 啓さん。
吉田:俺、成人の日にこの方たちがメインのコンサートがあって、司会をやったら客が3人しかいなくて、なんで若い奴は集まらないんだ!申し訳ないって思ったことがあった。
佐藤:写真に写ってる前列左はしのトロンボーンが21歳の谷 啓さん。本名 渡部泰雄がある日、ダニー・ケイの映画を観て谷 啓に改名するんですけど、初期の写真のサインでは谷 敬という表記になってる。そこで僕は谷さんにその理由を聞いたんです、谷さんとは「釣りバカ日誌」で10年間毎年取材でお会いしてましたから。谷さん曰く、“谷底から敬っていたらいつまでも這い上がれないぞ、だから谷を啓く…で谷 啓にしたらいいんじゃない──ってファンの人からアドバイスがあって”。それで変えたそうなんですけど、「五万節」のジャケットは谷 敬なんですよ。
吉田:え、知らなかった。ずーっと同じだと思ってた、変わってるの?
佐藤:変わってますよ。で、谷さんがシャープス&フラッツに入る前に学生バンドでやってたのがリズム・キャンパース。それで米軍キャンプの仕事を取るためにプロのプレイヤーを入れたいと思って、上手いピアニストだからと一面識もないのにナイトクラブのピアノ弾きを勧誘したのが石橋エータローさん。エータローさんは相手が学生バンドなのに、“いいよ”って入っちゃったんです。こういう出会いとかは色んな人の話とかインタビューで断片的に聞いてたんですけど、それを一本化した物がなかったんです。谷さんがシャープス&フラッツに入った頃、昭和28年萩原哲晶とデューク・セプテットにいたのが犬塚 弘さん。その頃になると朝鮮戦争が休戦になったのと、サンフランシスコ講和条約が発効されて、進駐軍がアメリカに帰ってしまいジャズ・バンドの仕事が減って、皆色々と転向して行く中で、仕事があぶれちゃいけないと、いち早くフランキー堺さんが<コミック・バンドをやろう>と結成したのがフランキー堺とシティ・スリッカーズ。ここのピアニストが桜井センリさん、ギターは植木さん、谷さんはトロンボーン。この時植木さんと谷さんが4万円の月給だったのに対し、センリさんは8万円。で、桜井センリさんのことは、皆“桜井さん、桜井さん”って呼んで絶対に呼び捨てにしないんです。コントのときも洗面器で頭を叩かない代わりに首を締める、大先輩だから。
吉田:ええ?そうなのあれ。
佐藤:その後、ハナさんがキューバン・キャッツっていうバンドを作って、そこに犬塚さん谷さんが入っていて、他には稲垣次郎さんっていう天才サックス・プレイヤーがいて、この人は70年代に稲垣次郎とソウルメディアというグループでファンクを演奏して世界的に有名な方。このキューバン・キャッツに植木さんが一年遅れで入ってくる。ハナさんが“よしバンドに入ってくれたら給料をバーン!と上げてやろう!”って言って、4万円だったのが4万1千円になった──と、こういう話を色んなインタビューの合間に植木さんがしてくれるんです。そしてようやく昭和32年に<ハナ肇とクレイジーキャッツ>のメンバーが揃ったのです。
ここで、ハナ肇とクレイジーキャッツが初めて映画で演奏した作品「竜巻小僧」(昭和35年)の一部が紹介された。演奏中楽器を壊すというギャグはすべて谷 啓さんのアイデアによるもの。谷さんはクレイジーの活動と並行して編曲を2年間通信教育で勉強して、譜面にそのギャグを書き込んで──の作品だった。
吉田:今観ても面白いね。凄いね。初めて観た。
佐藤:だってソフト化されてないんだもの。
吉田:もったいないね。
佐藤:もったいないですよ。ここでは石橋エータローさんが結核でお休みして、代わりに桜井センリさんがピンチヒッターで入って間もない頃。
吉田:記憶が曖昧なんだけど、桜井センリさんと石橋エータローさんが一緒にいる時ってなかったっけ?
佐藤:あります、それは昭和36年に石橋エータローさんが復帰して。
吉田:そうなるとピアノが二人で、一人あぶれちゃう。
佐藤:そこでメンバー皆で相談するんですけど、そのとき“いいじゃないか、二人でピアノ弾けば”ってことになるんですけど、これを植木さんが言ったという説と、渡辺 晋社長が言った説、ハナさんが言った説…とあるんですが、大事なことはクレイジーのメンバーの中に桜井センリさんに残ってもらおう──っていう気持ちがあったということなんです。ハナさんがキューバン・キャッツ(クレイジーキャッツの母体)を作ったのが、昭和30年の4月1日。「スーダラ節」が出たのが昭和36年の8月20日。その間6年かかるんです。この本を「スーダラ節」から始めちゃうと最後の「Still Crazy For You」までの単なるレコード・ガイドになっちゃうでしょ、やっぱりメンバーの出会いとか全部を書きたかったから。
この後、曲を聞きながらそれにまつわるエピソード紹介となった。まずは「五万節」の波瀾万丈の話題に。
佐藤:最初は植木さんの歌うパートの歌詞が、タクシー運転手の「書いた始末書五万枚」、ヤクザの大幹部の「呼んだパトカー五万台」となってたんですけど、これが<一部特定の職業に対しての誹謗、さらに公序良俗に反する>ということで、なんとPTAからクレームがついたんです、でもまだ放送禁止とか民放連の放送倫理規定とかがない時代、だから自主的に放送控えましょうってなったときに、渡辺 晋社長の英断でレコードを回収し、青島幸男さんが歌詞を書き直し、萩原哲晶さんが編曲し直してテンポも変えて再録音して「五万節」は翌年再発されることになった。今、皆さんが聴ける「五万節」はこの再発版。植木さんパートは「野球の大選手」「事件記者」になってます。オリジナルの「五万節」は現在では発禁にはなっていません。大瀧詠一さんが1986年に監修したカセット「クレイジーキャッツ全曲集」にも入ってます。しかも大瀧さんが作編曲を担当した同年発売の新曲「新五万節」はオリジナルのスローテンポのアレンジなんですよ。僕はどうしてもその音源を広めたいので、2005年クレイジーキャッツ50周年のときに『クレイジーキャッツHONDARA盤』『クレイジーキャッツHARAHORO盤』を出したんですけど、「HONDARA盤」にはオリジナル版と再発版が並べて入ってます。
さらに「五万節」「無責任一代男」などをはじめ、数々のクレイジーキャッツの名曲が映像で紹介された。
佐藤:「無責任一代男」は映画「ニッポン無責任時代」の主題歌で、それまで「スーダラ節」でいい加減なサラリーマンを歌ってたのが、ここでスーパーヒーローになるんです。<人生で大事なことは、タイミングに、C調に、無責任〜>、無責任っていう概念を変えた僕の魂の一曲。青島幸男さんがこの映画のタイトルに感心した──というのは、それが自分の「スーダラ」を超えてるから。元々は「無責任社員」というタイトルでフランキー堺さん主演で企画されてた作品。植木さんがフランキーさんのバンドにいたことを考えると、歴史の何かを感じますね。この歌詞の<おれはこの世で一番無責任と言われた男〜>というのはエノケン榎本健一さんの<俺は村中で一番モボだと言われた男〜>『洒落男』を現代版にしたもの。
吉田:あ、そうかぁ〜。
佐藤:これ、全編詞を置き換えて歌えるんです。青島さんに聞いたら、“そうだよ、これはエノケンのパロディだもん”って仰ってました。
吉田:パクリ?
佐藤:でも、誰もそれを指摘してない。
吉田:騒動も起こってないし。
佐藤:では、ここで<吉田照美クレイジーソング・ベスト3>の紹介をしたいと思います。
吉田:昨日ショートメールで言ったばっかりだけど(笑)。
佐藤:お互い住所も知らないので、出演依頼とかも全部メールですね。ではまず、第三位は「ハイそれまでョ」。
吉田:植木さんって歌が上手いでしょ、それが上手く歌っているのが、ガラって変わる瞬間というのは見事だもんね。
佐藤:「ハイそれまでョ」っていうのはタイトルなんだけど、いわゆるオチなんですよね、考えてみたらオチをタイトルにしてる。
吉田:ジャンルがないんだよね、この人たちだけでしょ凄いよね。
佐藤:では<吉田照美クレイジーソング・ベスト3>の第二位はなんと「スーダラ節」。
吉田:これで知ったからね、これは外せない。一位にしたいけどもっといい曲があった──後になるとね。でもこの頃はもうずっとこの曲が一位。こんな歌ないからね、なんだスーダラって(笑)、意味が分からない。
佐藤:植木さんがいつもハナ歌で歌ってたのを、<スイスイ、スーダララッタ〜>て書き換えてしまう青島さんがすごいんだけど、なんで「節」なのか?これは前の年昭和35年に小林 旭さんの「ズンドコ節」「ダンチョネ節」と、「節」をラテンのリズムに乗せた──民謡と洋楽を足したものがウケたんです。それをスーダラって一言でパロディにしちゃった。この頃「子どもが好きな人・べスト3」に植木さんが入っています。
吉田:映画でカッコいいんだよね、見た目日本人なんだけど歌ったり演技してる瞬間は輝いててノリが凄い。ノリってことでいえば植木 等を超える人はいないね、空前絶後、出て来ない。でもその流れを所ジョージさんが汲んでいて、歌や映画からくるイメージを人生に取り込んでる。
佐藤:所ジョージさん、桑田圭祐さん、大瀧詠一さんが三大ファンですね。
吉田:植木チルドレンなんだね。
佐藤:それでは<吉田照美クレイジーソング・ベスト3>の第一位!「だまって俺について来い」。東京オリンピックの年1964年11月の発売。
吉田:今の時代でも充分コレはいいな、こういう人がいいなぁ。
佐藤:では映画『ホラ吹き太閤記』主題歌のこの歌のどこがいいかを味わっていただきましょう。極めて無責任な木下藤吉郎を演じてます。──銭のない奴は俺んとこへ来いって言って、俺もないけど心配するなと。さらに白い雲、青い空──そのうちなんとかなるだろう〜って……この根拠のない自信(場内大爆笑)。
吉田:完全にリーダーシップを取っていて。
佐藤:これはついて行きたくなるポピュリズム。この人について行ったら何かいいことがあるんじゃないかと、自己の判断を停止してついて行きますね。政治家になったら大変なことになりますよ(笑)。
吉田:でも、いいなぁ。
佐藤:これが昭和39年の東京オリンピックの後で出たんですけど、歌はその前の9月には「ごろんぼ波止場」の主題歌でテレビで、すでにかかってた。
吉田:「ごろんぼ波止場」観てた、藤田まことさん主演で、ルーキー新一が出てきてね。
佐藤:もちろん映画の主題歌として作られたんだけど、このタイトルの語源は照美さん分かりますよね。
吉田:日本バレーボール・チームの大松監督だよね。
佐藤:金メダルを取って<東洋の魔女>と呼ばれたチームを育てた、大松博文監督の口癖とぴったり合って。オリンピック時期の高度経済成長の、ある種の象徴になったんです。この「だまって俺について来い」ってフレーズに小学生はハマりますよね。
この後、吉田照美さんがハマっていたテレビ番組でクレイジーキャッツの歌う姿が流された。
佐藤:実は「シャボン玉ホリデー」も1995年にビデオとレーザーディスクでソフト化されて、それが2005年にクレイジーキャッツ50周年記念でDVD化したボックスに入ってたんです。そのときに買った人は持ってるんですけど、現在はもうない。再発もなかなか難しいんです。
特別に──ということでクレイジーキャッツが出演したCM映像や「8時だョ!出発進行」の番組映像と共に、作詞家阿久 悠とクレイジーキャッツとのエピソードが語られた。
佐藤:もう盛りだくさんで予定の時間を過ぎてしまったんですけど、今日は皆さんにクレイジーキャッツのサイン(のレプリカ)をお土産に持って帰っていただこうと思っています(場内大拍手)。このサインは昭和41年の梅田コマ・スタジアム公演のときチャリティーで書かれたもので、七人のサインの真ん中にあるCRAZY CATSの文字は犬塚さんが書いたもの。で、照美さん、ラジオで是非、今日話したような番組やりましょうよ。
吉田:面白いね。しかしよく色んな物を持ってて、それを編集して映像を作ったね。もうテレビとかラジオとか言わないで自分でやった方がいいんじゃない?。
佐藤:それは是非この『クレイジー音楽大全 クレイジーキャッツ・サウンド・クロニクル』で。
吉田:佐藤利明に大宅壮一ノンフィクション大賞をあげて欲しいよ。
佐藤:というわけで吉田照美さんに無理を言って今日は──。
吉田:全然無理言ってないよ(笑)。
佐藤:でも、好きでいることって幸せですね、それを容認して受け入れるウチのかみさんも偉い(場内大拍手)。照美さん、今日は本当にありがとうございました。
吉田:いや、こちらこそ失礼しました、ありがとうございました(場内大拍手)。
佐藤:では最後はこういう感じでお別れしましょうか。「ホンダラ行進曲」!ありがとうございました(場内大拍手)。
この後、サイン会が行われた。