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米国フリージャズの巨人 セシル・テイラーが死去

2018/04/07 01:09掲載
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Cecil Taylor - Photograph: Barbara Woike/AP
Cecil Taylor - Photograph: Barbara Woike/AP
ピアノによる即興演奏の可能性を極限まで追求した革新的なジャズ・ミュージシャンであった、米国フリージャズの象徴的存在、ピアニストのセシル・テイラー(Cecil Taylor)が4月5日、ニューヨークのブルックリンにある自宅で死去。死因は今のところわかっていません。米国の公共ラジオ局NPRや英国の新聞ガーディアンが訃報を伝えています。89歳でした。

以下wikipediaより

<来歴>
セシル・テイラーは、ニューヨーク市近郊のクィーンズに生まれた。母の励ましによって幼少期がら音楽を始め、ピアノを始めたには6歳のときであった。テイラーは、音楽のカレッジ(New York College of Music)とニューイングランド音楽院に通った。ニューイングランド音楽院において、テイラーは、作曲と編曲を専攻した。この時期、ヨーロッパの近代クラッシック(特にバルトーク)と現代音楽(特にシュトックハウゼン)に親しんだ[1]。

1950年、テイラーはボストンからニューヨーク市に引っ越した。スティーヴ・レイシー、ビュエル・ネイドリンガー、デニス・チャールズとカルテットを結成して活動をはじめた。

1955年、最初の録音が行われ『ジャズ・アドヴァンス』(1956年)として発表された。1958年10月にはジョン・コルトレーンと共演してリーダー・アルバム『Stereo Drive』を録音したが、のちにコルトレーン名義の作品『コルトレーン・タイム』(1962年)として再発された。

テイラーがフリー・ジャズにおいて強烈な個性を確立したのは『ネフェルティティ、ザ・ビューティフル・ワン・ハズ・カム』(1962年)からであった。

1961年より、アルトサックス奏者ジミー・ライオンズとともに活動する機会が多くなった。
1970年代以降はソロ・ピアノ、トリオ、ビッグバンドなど多彩な編成で活動を行なっている。
1973年に初来日し、各地でコンサートを行った。5月22日、新宿・厚生年金会館大ホールで行われたライヴは録音され『アキサキラ』として発表された。
2013年度の京都賞思想・芸術部門(音楽分野)を受賞した。