日本におけるブルース・ハーモニカの第一人者、妹尾隆一郎が12月17日に死去。妹尾隆一郎の公認サイトで妻の妹尾 菊江が明らかにしています。公認サイトによれば、12月4日に腸閉塞であることが分かり、入院していました。68歳でした
■妹尾隆一郎(
wikipediaより)
大阪教育大附属高校池田校舎時代からバンド活動を始める(ベース担当)。後輩に伊藤銀次がおり、当時ビートルズのコピーバンドで、ベースを弾きながら歌えた人間は少なかったとの証言がある。上京し中央大学商学部に入学。フォークソング研究会に入る。中大フォー研在籍時、サニー・テリー、ポール・バターフィールド、ミシシッピ・ジョン・ハートなどを知り、ハーモニカに興味を持ち、その後黒人ブルースとハーモニカにのめり込んで行く。1972年、B.B.キング来日時には前座で出演。1974年9月、「オフ・ザ・ウォール」を経て「ウィーピング・ハープ・セノオ&ヒズ・ローラーコースター」を結成。同年、久保田麻琴と夕焼け楽団のレコーディングセッションに参加。
1976年8月、1stアルバム『メッシン・アラウンド』を発表。内田勘太郎、近藤房之助など日本の第一線のブルース・ミュージシャンが結集したこのアルバムは、ブルース・アルバムとしては予想を大きく上回る好セールスを記録。翌1977年、2ndアルバム『ブギ・タイム』を発表。渡辺香津美、村上秀一、泉谷しげるなど、1stアルバム同様豪華なミュージシャンたちを迎え、自作曲も発表した。その後も精力的に活動し、全国のライブハウスを行脚。様々なコンサートなどを企画。また、自らハーモニカ教室も開き、後進の育成にも力を注いでいる。
週刊モーニングの連載マンガ「Hey!!ブルースマン」(山本おさむ)には尾崎龍太郎として登場している。