ジェフ・ベック、Char、ポール・ロジャース、トニー・アイオミ、ティアーズ・フォー・フィアーズ、ゴー・ウエストらとの共演でも知られる英国出身のドラマー、
ジム・コウプリー(Jimmy Copley)が死去。コウプリーが在籍したバンドM3のバンドメイトであるトニー・マーティンが自身のFacebookページで明らかにしています。コウプリーは2015年12月に白血病と診断され、骨髄移植を受けたものの、その後に再発。コウプリーは化学療法をこれ以上望まないとして残りの人生を過ごしていたようです。63歳でした。
コウプリーは日本においてはCharとの交流で知られており、Char&PSYCHEDELIX(後にPSYCHEDELIX)にも参加しています。
2008年には、ジェフ・ベックとCharが参加した初のリーダー・アルバム『Slap My Hand』を発表しています。以下は、そのリリースの際に開設された日本公式サイトのプロフィールより
Jim Copley
生年月日:1953年12月29日
出身地:イギリス サウス・ロンドン(バース市在住)
南ロンドンの音楽環境に恵まれた家庭に生まれる。幼少の頃より母親がピアノを弾き、様々なミュージシャンが訪れてはリビングで音楽を奏でていた。幼くして父親の経営する音楽スタジオにてドラムの練習を始める。本格的な活動は70年代初頭、父親との親交があった若き日のジェフ・ベックがプロデュースしてUPPとしてデビュー。2枚のアルバムを発表し日本でも話題を呼んだ。 またこの頃ジェフ・ベックはUPPをバック・バンドとしてライブ活動も行っている。
日本においてはアンルイスのサポート・バンドのドラマー、また後に矢沢永吉、今井美樹等様々なアーティストのアルバムにも参加。
その後、英国を筆頭にヨーロッパで絶大な人気を誇ったGO-WESTのワールド・ツアーに参加している。GO-WESTはピーター・コックス、リチャード・ドラミーからなるデュオで、1985年にデビュー曲の「ウィ・クローズ・アワ・アイズ」がヒット、新進のブルー・アイド・ソウルのデュオとして注目された。1993年には映画「プリティ・ウーマン」のサントラに提供した「キング・オブ・ウィッシュフル・シンキング」がヒットしている。
88年にはあのティアーズ・フォー・フィアーズのワールド・ツアーのドラマーとしてまさに世界中を飛び回る。ティアーズ・フォー・フィアーズは「ルール・ザ・ワールド」、「シャウト」という2曲の全米ナンバーワンヒットを送り出し、世界的な成功を手にした。日本でも1985年の自動車メーカー・スズキ「カルタス」CMに採用され、舘ひろしとともに広く認知される。さらに、「ヘッド・オーバー・ヒールズ」もチャート上位にランクしたが、これは印象的なイントロから後年カルト映画「ドニー・ダーコ」でも取り上げられることになる。
1989年に発表された「シーズ・オブ・ラブ」もヒットし、引き続き高い評価を得た。カンザス州のホテルで歌っていたオリータ・アダムスを起用、この時にジム・コウプリー、またギターにはジミーの旧友ニール・テイラーら多数のスタジオ・ミュージシャンも参加している。シングル「ウーマン・イン・チェインズ」ではフィル・コリンズのドラム、他にべースでピノ・パラディーノ等。 その後ティアー・フォー・フィアーズ解散後のカート・スミスのソロ・アルバム"Soul on Board"、プリテンダース、マーティン・ペイジのアルバム等数々の著名なアーティストのセッション・ワークに参加。
88年には、日本においては和製ロック・ギタリストの雄、チャーとの「いつか一緒にバンドをやろう...」という長年の口約束が現実の物となり、チャー&ザ・サイケデリックスに参加し、日本での知名度もこの頃から一気に上がった。
この時のオリジナルメンバーはチャー(G)、ジム・コウプリー(Dr)、ジャズ・ロッホリー(B)、佐藤準(Key)、アン・ルイス(Cho)となっている。佐藤準はチャーのスモーキー・メディスン時代から一緒にやっているキーボードで数々のアーティストのアレンジを手がけており、おニャン子クラブなどアイドル物で一声を風靡した。
96年からは60年代のブリティッシュ・ロック・シーンの牽引役となった伝説的なバンドFREE、バッド・カンパニーの名ヴォーカリスト、(現在クィーンのヴォーカルとしても知られる)ポール・ロジャースのパーマネント・バンドによるワールドツアーにも参加。この年、ギリシャの国民的ニュー・エイジ・ピアニストのバックも務め、チェコ・フィルハーモニー・オーケストラなどの欧州を代表するオーケストラとも競演を果たし、新境地を切り開く。
2000年代に入ってからはブラック・サバスのトミー・アイオミと元ディープ・パープルのグレン・ヒューズのユニットや、同じくディープパープルのメンバーであった、デビット・カバーディル、ジョン・ロードと共に70年代のハードロック・シーンを担ったホワイト・スネークのオリジナルメンバー3人(バーニー・マースデン、ミッキー・ムーディー、ニール・マーレイ)によるM3のドラマーとしても活躍。M3はロシア、東欧を含む全ヨーロッパのスタジアム・クラスの会場埋める動員を誇る脈々と続くヨーロッパでのハードロック人気を常に支え続けているモンスター・バンドである。
また2004年頃からは長年のバンド・キャリアを続け、驚異的な売り上げと動員を誇るバンド、マグナムの正式メンバーとしても活躍し、全ヨーロッパを渡る長期ツアーも行っている。
現在もジェフ・ベックとの親交も深く、ロンドン郊外のジェフ・ベック宅においてピノ・パラディノと共にジェフのレコーディング・セッションを行ったり、ちょっとしたジェフのライブのサポート・ドラマーを務めており超多忙な英国を代表するロック・ドラマーの一人である。ピノ・パラディノは、ジョン・メイヤー・トリオなどにも参加している世界的に絶大な人気を誇るベーシストで 特に日本ではフェンダー社製のシグニチャー・モデルのベースが飛ぶように売れる異常人気ぶりである。
2007年は本人の長年のキャリアの集大成ともいえる初のリーダー・アルバムを制作中。地元バースのスタジオを中心にジェフ・ベック、バーニー・マスデン、ピーターコックスなどの名だたるミュージシャンがこぞって参加する本人の音楽的なルーツをたどる内容となっている。日本・セッションではチャー、小島良喜(小島は井上陽水、浜田省吾、近藤房之助など多くのアーティストのコンサート・ツアー、レコーディングに参加しているサポート・キーボードの第一人者)、そしてハービー・ハンコック&ヘッド・ハンタースのオリジナル・ベーシストであるグルーヴ・マスター、ポール・ジャクソンも参加し、ファンキーかつクールなグルーヴ・セッションを展開しまさにクリック無しの一発録りを行った。日本のビールと焼き鳥、しゃぶしゃぶ好きの大の親日家である。
[演奏スタイル]
絶妙にチューニングされたスネアと60年代ソウル、ジャズなどの影響を受けたそのスタイルは繊細なディテールを表現する。ジョン・ボーナムを始めとする60〜70年代のハードロック・ドラマーや、マハビシュヌ・オーケストラなどで著名なクロス・オーバー・ドラマーの先駆者、ビリー・コブハムの多大な影響を受けたオープン・ハンド・スタイルはいわゆるフル・フォー・インディペンデンスによる独自で変幻自在なドラミングとダイナミックなフレーズの裏付けとなっている。特筆すべきそのシングル・ペダルによる3連のバス・ドラムのフレーズ、スネアのバック・ビート、ゴースト・ノーツの絶妙なタイミングは多くのフロント・マンであるギターリスト、ヴォーカリストらを魅了してきた。 スピード感溢れる8,16系のグルーヴ感はさすが世界のトップ・レベルといったところか。
http://www.edoya.tv/jimmycopley/profile.html