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ジャズ・ピアニストの菊地雅章が死去

2015/07/07 23:33掲載
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菊地雅章
菊地雅章
「プーさん」の愛称で親しまれている日本ジャズ界を代表するピアニスト、菊地雅章が7月7日、ニューヨークの病院で死去。ECM RecordsのFacebookページおよび家族のFacebookページにて明らかにされています。75歳でした。

Masabumi Kikuchi (1939-2015)Pianist Masabumi Kikuchi, one of jazz’s most original musicians, has died in New York,...

Posted by ECM Records on 2015年7月7日


【ご報告】2015年7月7日火曜日本日昼前、父・菊地雅章が入院先のNorth Shore University Hospital(N.Y.州) にて息を引き取りました。誕生日を3か月後に控えた、享年75歳でした。関係各位には同時に...

Posted by 菊地 あび on 2015年7月7日


来歴(wikipediaより)

東京都出身。太平洋戦争中に福島県会津若松市に疎開。6歳でピアノを始め、18歳でプロとして活動開始。1960年代には美空ひばり、渡辺貞夫、日野皓正などと共演。

1968年にはソニー・ロリンズの日本ツアーに帯同し、同年バークリー音楽大学に留学。1969年に帰国。1970年発表のアルバム『Poo-Sun』では、マイルス・デイヴィスが押し進めていたエレクトリック・ジャズの手法を、日本ではいち早く体現。

1970年代にはマル・ウォルドロン(1971)、ジョー・ヘンダーソン(1971)、エルビン・ジョーンズ(1972、1973)、ギル・エヴァンス(1972年7月、1977?1979年、1980年)、ジョニー・ハートマン(1972)、ソニー・ロリンズ(1974年ボストンでのコンサート)等と共演。また、1972年公開の映画『ヘアピン・サーカス』(監督:西村潔)の音楽も担当。1976年、日野皓正、アル・フォスター、スティーヴ・グロスマン、デイブ・リーブマンとアルバム『WISHES/KOCHI』を録音した。1978年にはマイルス・デイヴィスともセッションを行ったが、その時の音源は今も公式には未発表となっている。この際にアル・フォスター、ジャック・ディジョネットと共演した。

1990年以降、ゲイリー・ピーコック、ポール・モチアンと共演した。1995年、アルバム『ACOUSTIC BOOGIE』、1996年のツアーでグレッグ・オズビーと共演した。 また、1996年にへレン・メリルのアルバム『あなたと夜と音楽と』の録音にチャーリー・ヘイデン、ポール・モチアンと共に参加した。

その後現在に至るまで、膨大な数の作品を発表している。