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ロッド・スチュワート 自身の壮大な鉄道模型やセックス・ピストルズへの憧れ、エルトンとの逸話、自身の伝記映画等について語る

2021/11/19 16:40掲載
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Rod Stewart - Grand Street And Three Rivers City (c)STEVE CRISE/RAILWAY MODELLER
Rod Stewart - Grand Street And Three Rivers City (c)STEVE CRISE/RAILWAY MODELLER
ロッド・スチュワート(Rod Stewart)が英ガーディアン紙の読者からの質問に答える形で、自身の壮大な鉄道模型や、セックス・ピストルズへの憧れ、髪型完成までの時間、エルトン・ジョンとの逸話、自身の伝記映画などについて語っています。

Q:最近、素晴らしい鉄道模型をイギリスに輸送することを発表しましたね。どのように移動させるのですか?

「ニューヨークとシカゴをモチーフにした都市模型で、23年かけて作ったんだ。長さ60フィート、幅25フィートある。普通の人の家よりも大きいよね。移動には7ヶ月かかったんだ。鉄道模型は動かせないから、多くの部分を作り直さなければならなかったんだよ。とても高価なものなんだけど、それだけの価値はあるよ。僕の大好きな趣味で、毎日取り組んでいるからね。僕はロンドン北部のハイゲートで生まれたんだけど、窓の外には線路が見え、その向こうにはサッカー場が広がっていたんだ。僕はかつてローリングストーン誌よりも(鉄道模型誌の)Railway Modeller誌の表紙を飾りたいと言ったことがあるんだけど、それ以来、ローリングストーン誌は僕に話しかけてこなくなったんだよ」

Q:飽きずに歌える5曲は?

「みんな大好きだよ。僕の赤ちゃんのようなものなんだ。“Da Ya Think I’m Sexy?”は批判的な意見が多くて飽きてしまった時期もあったけど、人を幸せにする曲なので、それはそれでいいんじゃないかな。今でもこの曲を歌うとみんなが笑顔になるんだ」

Q:(ロッド・スチュワートがヴォーカルフィーチャリング参加した)パイソン・リー・ジャクソンの「In a Broken Dream」でのギャラが、車のシートカバーだったというのは本当ですか?

「僕の友人はマルコス・カーで働いていて、僕は彼らの小さなスポーツカーを持っていたんだ。彼はロック・グループのマネージメントをしようとしていたんだけど、オーストラリアから来たグループで、シンガーが歌えない曲があったんだ。僕の友人は“俺のためにデモを作ってくれないか?”と言ってきたんだよ。彼らはお金を持っていなかったので、車のカーペット一式を提供してくれたんだ。僕はこの曲を2テイク歌ったけど、A$AP Rockyが“Everyday”でサンプリングするまで、この曲について何も聞くことはなかった。僕の息子たちはそれを気に入っているけど、それはA$AP Rockyだからであって、僕のおかげではないよ」

Q:ロッド・スチュワートの完全な髪型を実現するにはどれくらいの時間がかかりますか

「2分だ! ドライヤーを中に少し入れて、逆さまに乾かして全体を立たせてから、ワックスを少しつける。この髪型を始めたときにはなかった。以前は、砂糖と水を使って髪を立たせていたよ」

Q:1977年のシングル「I Don't Want to Talk About It」はセックス・ピストルズの「God Save the Queen」を1位から遠ざけたことで有名ですよね(※イギリスのシングルチャートのトップになったが、意図的に格安のシングルとしてリリースされたことが功を奏したという説が有力)。あなたの理解する裏事情では、あれはフェアな戦いだったのでしょうか?

「誰が1位になろうが2位になろうが、僕はあまり気にしていなかった。(ピストルズのマネージャー)マルコム・マクラーレンは、僕のことを泥棒で嘘つきだと言って大騒ぎしたけど、もし何かごまかしがあったなら、僕はそれを認めるよ。“God Save the Queen”は素晴らしかった。僕はセックス・ピストルズが大好きで、ボウイやエルトン、僕をはじめとする全員に良い刺激を与えてくれたことに感謝しているんだ。彼らは、音楽は誰にでも作れるということを示してくれた」

Q:エルトン・ジョンの自伝の中で、あなたとの話がとても面白かったです。印象に残っているエピソードはありますか?

「公の場でのものもあったけど、彼が僕に最も恥をかかせたのはプライベートのときだった。以前、僕たちはバークシャー州で20分ほどの距離のところに住んでいたことがあって、クリスマスに彼にハロッズのポップアップ式冷蔵庫を買ってあげたことがあったんだ。ボタンを押すと、蒸気が出て、照明がついて、シャンパンのボトルが出てくるんだ。70年代にしては大金で、600ポンドもしたんだ。僕たちがプレゼントを交換すると、彼は“いいね、ありがとう”と言い、彼は僕にレンブラントの絵をくれたんだよ! こんなにしみったれた気持ちになったことはないよ。彼は僕が知る限り、永遠に太っ腹な人だ。彼はいつも僕の上を行く。がまんならないね。僕たちは今、マスコミを通じてコミュニケーションを取っているけど、お互いに愛し合っている。それが大事なんだ」

Q:録音しておけばよかったと思う曲を断ったり、録音しなければよかったと思う曲を録音したりしましたか?

「唯一、ちょっと悲しかったのは、エルトンとスティーヴィー・ワンダー(がディオンヌ・ワーウィック、グラディス・ナイトと一緒に)やって大ヒットした“That's What Friends Are For”。僕がオリジナルを担当したからね。レコード会社はこの曲をシングルとしては認めていなかったけど、その後、彼らはこの曲を手に入れた。恨みっこなしだよ。彼らのヴァージョンは良かったけど、僕のヴァージョンには及ばないよ。またエルトン・ジョンか!(笑)」

Q:クイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』やエルトンの『ロケットマン』のように、あなたの人生を描いた映画が公開されることはあるのでしょうか?

「誰かが伝記映画を作ってくれることを祈っているよ。噂はあったけど、まだ何もないよ。僕の2人の息子が若い頃の僕を演じることができる。彼らには髪の毛がないけど、最近のカツラはとても普通に見えるしね。エルトンのを見てよ」