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ムック本『ジョン・レノン フォーエバー: 魂の叫びと日本の心』詳細発表

2020/09/30 18:03掲載
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ジョン・レノン フォーエバー:魂の叫びと日本の
ジョン・レノン フォーエバー:魂の叫びと日本の
ムック本『ジョン・レノン フォーエバー: 魂の叫びと日本の心』(広田寛治 編集)の詳細発表。

生誕80年没後40年の今、ジョン・レノン(John Lennon)が愛した日本との関わりに焦点をあて、交流した人物、訪れた場所などからその足跡を辿り、彼の作品や活動から今なお輝きを放つメッセージを探る。河出書房新社から10月8日発売予定。
■『ジョン・レノン フォーエバー: 魂の叫びと日本の心』(文藝別冊)
広田寛治 (編集)

ムック A5 / 192ページ
ISBN:978-4-309-98019-5 3
予価1,430円(本体1,300円)

<内容>

●巻頭グラビアJohn Lennon 1940-1980 ジョン・レノンの足跡と日本

本書のプロローグとして、1940年から80年までのジョン・レノン40年間の生涯を、
日本との関連を軸に16枚の写真と48枚の日本盤ジャケット写真などで概観する。

●John Lennon in Japan ジョン・レノンの魂に触れた日本の心
ジョン・レノンと日本の交流史 文/広田寛治

ジョンはいつ日本に関心を持ち、ビートルズの日本公演で何を感じ、
ヨーコと出会って何を学び、日本を旅して何を体験し、
それらはジョンの作品や人生にどんな影響を与えたのか。
ジョンの人生を4つの時期に分けて、日本に関する発言や行動を検証しながら、
日本理解の深化・変化を考えてみる。
❶1940〜1966日本への憧れと満たされぬ体験
❷1966〜1970オノ・ヨーコとの出会いと日本での平和運動
❸1970〜1971日本へのお忍び旅行で日本文化を吸収
❹1972〜1980日本での主夫生活と音楽活動再開

●ジョン・レノンが歩いた日本 写真・取材記/福岡耕造・金梅翔仁 解説/広田寛治

ジョンは1966年にビートルズとして来日し日本公演、1971年にはヨーコとお忍び来日、
75年にショーンが誕生して以降は、1977年から79年までは毎年ショーンを連れて来日し長期滞在している。
ここではジョンが訪れた日本でのゆかりの地を地域別に全46箇所を紹介する。
神出鬼没 東京/銀座・築地・渋谷・上野・湯島など16箇所
第二の故郷 湘南/辻堂・江ノ島・鎌倉・北鎌倉など4箇所
リゾート地で過ごす/軽井沢・富士箱根など19箇所
あこがれの京都/京都・亀岡・丹後・滋賀県大津など7箇所

■Interviewsジョン・レノン ロスト・インタビュー
「40歳で死ぬわけにはいかない」 byレイ・コノリー

ビートルズ解散からソロ活動開始期にロンドンの『イブニング・スタンダード』紙のロック担当記者として、
1969年から72年までジョン・レノンと行動を共にしていた
英国のジャーナリストで作家のレイ・コノリーが行なったさまざまなインタビューから再構成。
彼は1980年12月9日に『ザ・サンデー・タイムズ』紙でジョンを取材することになっていたが、
ジョンの死で実現しなかった。初出は2009年9月6日付『サンデイ・タイムズ・マガジン』。
《主な内容》
段ボール箱に入ったまま眠っていた貴重なインタビュー・テープを発掘
あの声明で「ビートルズ脱退」と言うつもりはなかった(ポール)
どうして俺が打ち明けた時点で記事にしなかった(?ジョン)
ジョージは哲学者、ポールは音楽家、俺は変人、愛してくれるかい(?ジョン)
仕事をするパートナーとして選んだのはポールとヨーコの二人だけ(ジョン)
40歳で死ぬわけにはいかないから新しい生き方を身につけたい(ジョン)など

■Interview ジュリアン・レノン・インタビュー
「インスタント・カーマを信じている」

1998年のアルバム『フォトグラフィック・スマイル』発売時の取材記事。
ジュリアンのこれまでの歩みや父ジョン・レノンに対する複雑な思い、
そして家族との関係を率直に語ったインタビュー。
初出は1998年5月3日付『サンデイ・タイムズ・マガジン』。
《主な内容》
父親から見放された苦しみを背負う/最後の会話は父が撃たれる2週間前
もっと成功していたら、さらにひどい状況に/あえて父と同じタイプの音楽を選ぶ
ずっと避けてきたビートリーな曲に挑む「/ヘイ・ジュード」はこれ以上ない栄養
ビートルズの曲を耳にすると構えてしまう/作曲家としては尊敬するが、父親としては別

■Message from John Lennon

●ビートルズのアルバムに込めたジョン・レノンのメッセージ 文/淡路和子

1960年代、ビートルズのメンバーとして活動したジョン・レノン。
解散までに残した楽曲は12作のアルバムと2作の編集盤に収められている。
ジョンはビートルズの作品にどんなメッセージを込めたのか、あるいはどんな意思表示が言外に現れていたのか。
ジョンの視点でビートルズの音楽作品を追う。


●ソロ・アルバムに込めたジョン・レノンのメッセージ 文/吉野由樹

ジョン・レノンほど生き方を正直に作品に映してきたアーティストはほかにいないだろう。
その一途な想いは聴き手の心を揺さぶる力をもっている。
ここでは1969〜1984年に発表されたアルバムを中心にジョンが生涯をかけて発信し続けたメッセージに注目する。

●ソロでのライブ活動とテレビ出演に込めたジョン・レノンのメッセージ 文/山川真理

ビートルズ解散後にジョンが行なったライブ演奏は、回数はそれほど多くないが内容は非常に幅広く、
それぞれのパフォーマンスにメッセージが込められていた。
また、影響力の強いメディアであるテレビを活用し、自身の考えや主張をより効果的に伝えようとしていた。

●アート作品と平和活動に込めた
ジョン・レノンのメッセージ 文/山川真理

ジョンは音楽だけでなく文章やアートにも才能を発揮し、生涯を通じて多くの作品を遺した。
また、反戦・平和をはじめ、さまざまな社会的事項についても発言を重ねてきた。
ここではその「アート」と「平和」を軸にジョンの活動を追い、背後にあるメッセージを読み解く。

●ジョン・レノン年譜

最新のジョン・レノン研究を踏まえた関連年譜

<著者について>
広田 寛治 (ヒロタ カンジ)
1952年生まれ。作家・現代史研究家。山梨県立大学講師などを経て、編集プロダクション/フロム・ビー主宰。主な著書に『ロック・クロニクル/現代史のなかのロックンロール』、『ビートルズ学入門』など。