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ジョン・レノン「スターティング・オーヴァー」特集 BS-TBS『SONG TO SOUL〜永遠の一曲〜』12月3日放送

2019/11/21 12:26掲載(Last Update:2019/11/21 14:17)
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John Lennon & Yoko Ono / Double Fantasy
John Lennon & Yoko Ono / Double Fantasy
ジョン・レノン(John Lennon)の「スターティング・オーヴァー」((Just Like) Starting Over)を特集した、BS-TBS『SONG TO SOUL〜永遠の一曲〜』が12月3日(火)放送。

番組にはジャック・ダグラス(プロデューサー)、アンディ・ニューマーク(ドラマー)、アール・スリック(ギタリスト)、ジョン・スミス(アシスタント・エンジニア)、デヴィッド・M ・スピンデル(レコーディング・セッションを撮影した写真家)が出演。この曲やジョンについて語っています。

なお、『SONG TO SOUL〜永遠の一曲〜』では12月17日(火)にビートルズ「サムシング」特集を再放送します

■BS-TBS『SONG TO SOUL〜永遠の一曲〜』

●「スターティング・オーヴァー」ジョン・レノン
12月3日(火)23時〜

ジョン・レノンが1980年11月にリリースしたアルバム『ダブル・ファンタジー』からの先行シングルとして10月にリリースされた「スターティング・オーヴァー(Just Like)Starting Over」。1975年に息子ショーンが生まれると、ジョンはショーンが5歳になるまで「主夫」として生き音楽活動を封印すると宣言。音楽業界と完全に線を引いてしまった。世界中がジョンの再始動を願う中、5年ぶりの復帰作として制作されたのがこの曲だった。アルバムのレコーディングは1980年8月にNYで行われたが、当初そのプロジェクトは極秘で、参加するミュージシャンにも誰のセッションかは秘密にされたという。それは5年ぶりにジョンが音楽業界に復帰するとなれば、マスコミもレコード会社も騒ぎたてるであろうことを避けるためでもあった。アルバムリリースに向けて先行リリースされた「スターティング・オーヴァー」は順調にチャートを駆け上がり、ジョンもその成功を喜んでいた。しかし・・・1980年12月8日ジョンは凶弾に倒れる。ジョンの死後「スターティング・オーヴァー」はチャート1位となるが、その結果はあまりに切ないものだった。ジョンの復帰作のプロデューサー、そしてレコーディングに参加したミュージシャンが、この曲を、アルバムを、そしてジョンの最後となってしまった音楽活動を語る。

出演予定:
ジャック・ダグラス(プロデューサー)
アンディ・ニューマーク(ドラマー)
アール・スリック(ギターリスト)
ジョン・スミス(アシスタント・エンジニア)
デヴィッド・M ・スピンデル(レコーディング・セッションを撮影した写真家)

●「サムシング」ビートルズ
再放送 12月17日(火)23時〜

数多くのヒット記録とロックにおけるさまざまな新しい試みで20世紀ポピュラー音楽の歴史を変えたビートルズ。
「サムシング」は、彼らが解散の約半年前にリリースした『アビイ・ロード』(1969)に収められた曲。

それまでジョン・レノンとポール・マッカートニーという2大ソングライターのもとで曲づくりの腕を磨いてきたジョージ・ハリスンがその才能を花開かせ、彼の曲として初めてシングルのA面(「カム・トゥゲザー」とともに両A面)を飾った曲でもある。

ジョンとリンゴ・スターはこの曲を『アビイ・ロード』中のベストソングと言い、ポールもジョージの最高傑作と評している。

ビートルズの曲では「イエスタデイ」に次いでカヴァーが多く、フランク・シナトラはこの曲を「20世紀最高のラヴソング」と呼んだ。

この曲は68年にリリースされた『ホワイト・アルバム』のセッション時に書かれ、当時ジョージ・マーティンの代理でビートルズのプロデューサーを務めていたクリス・トーマスの前で初めて演奏された。

また、この曲は当時のジョージの妻・パティ・ボイドのために書かれた曲とされている。
本人以外が初めて聴いた「サムシング」はどのようなものだったか、そして、ジョージは何を思い、この曲を書いたのか…
番組では、「サムシング」にゆかりある人々を訪ね、名曲誕生の経緯を探っていく。

出演者:
クリス・トーマス
マーク・ルイソン(ビートルズ研究家)
パティ・ボイド(当時のジョージ・ハリスンの妻)
ジョン・カーランダ―(エンジニア)

番組ページ:
https://www.bs-tbs.co.jp/songtosoul/