アイアン・メイデン(Iron Maiden)のブルース・ディッキンソン(Bruce Dickinson)が、ボスニア紛争(1992〜1995年)真っ只中の1994年に、ボスニアの首都サラエボで行ったコンサートに焦点を当てたドキュメンタリー映画『Scream For Me Sarajevo』が日本公開決定。邦題は『ブルース・ディッキンソン(アイアン・メイデン) サラエボの叫び』。6月9日(土)よりシネマート新宿、6月15日(金)よりシネマート心斎橋にて、1週間限定で劇場公開されます。本作品でブルース・ディッキンソンとの独占インタビューを行った音楽評論家・伊藤政則の登壇も決定しています。
以下プレスリリースより
世界的評価を受けた最新アルバム『The Book Of Souls(魂の書~ブック・オブ・ソウル)』を引っ提げてのワールドツアーが大成功を収め、またこの夏『The Legacy Of The Beast』と銘打って大規模な欧州ツアーを発表したばかりのHeavy Metalの権化、アイアン・メイデン。そのアイアン・メイデンで約30年(1982-1993/1999-現在)に渡り、ヴォーカリストを務めるブルース・ディッキンソンのドキュメンタリー・フィルム『ブルース・ディッキンソン(アイアン・メイデン) サラエボの叫び』が、全世界で公開されることになった。日本時間4月18日、(英国時間4月17日(火))ロンドンにてプレミア上映を実施。ブルース・ディッキンソン本人が登壇し、世界各国からのインタビューに答えた。その映画はここ日本でも6月9日(土)~東京:シネマート新宿、6月15日(金)~大阪:シネマート心斎橋にて、1週間限定で特別上映されることが発表された。
アイアン・メイデンのメンバーであるブルース・ディッキンソンのドキュメンタリー映画の日本初公開が決定し、アイアン・メイデンに精通する音楽評論家の伊藤政則さんにご登壇いただくことになりました。1970年代後半渡英し、NEW WAVE OF BRITISH HEAVY METAL勃興期を目の当たりにし、アイアン・メイデンの黎明期からバンドを追い続け、世界各国を飛び回って、アイアン・メイデンのライヴを観て来た伊藤政則さん。インタビューもかなり初期からおこなっており、40年に渡りアイアン・メイデンに携わってきた伊藤政則さんは、日本のメディアで"アイアン・メイデン"を最初に紹介した第一人者でもある。そんなこともあり、バンドからオファーを受けての今回のドキュメンタリー映画に関するブルース・ディッキンソン単独インタビューは、世界で伊藤さんただ一人のみとなった。そんなメンバー公認ジャーナリストの伊藤政則さんのご登壇なだけに、本編上映前に歴史を裏付けるいろんな話がきけそうだ。東京は、6月10日(日)@シネマート新宿、大阪は、6月15日(金)@シネマート心斎橋の上映日のみご登壇いたします。(本編上映前にご登壇)伊藤政則さんの耳で楽しむライナー・ノーツをご堪能ください。
映画「Scream for Me Sarajevo(サラエボの叫び)」は、サラエボの街がまさに包囲された最中の1994年に、世界ナンバーワンのメタル・バンドのフロントマン、ブルース・ディッキンソンと彼のバンド"スカンクワークス"が体を張って実現した、奇跡の話。これは、ブルース・ディッキンソンのショーを実現するために、凄まじい戦争の惨事に抗いながら自らの命を賭した人々の映画です。歴史に残るギグの映像は勿論のこと、当時ライヴを企画実行した人々、ライヴに出演した人々と再会し、当時のことを振り返ります。残虐な殺戮が彼らの周りで起きているにも関わらず、進み続けることを決心したバンド、クルー、セキュリティーのインタビューでは、とても危険な状況下で実現したエピソードが語られた。「我々の安全は、保障されることなく、無謀だった。勿論、弾丸は本物だったが、とにかく俺たちはサラエボに向かった。」と、ブルースのベストセラーの自叙伝『What Does This Button Do』で語られている。「ギグは、集まってくれた観衆の為、そして、我々自分たちの為におこなった世界最大のショーだった。世界がその事実を知らなかったことは問題ではなかった。それは、自分の人生や死、自分以外の人たちに対する見え方が一変した瞬間だった」
「我々の安全は、保障されることなく、無謀だった。勿論、弾丸は本物だったが、とにかく俺たちはサラエボに向かった。」 _ブルース・ディッキンソン(自叙伝『What Does This Button Do』より)