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スライ&ザ・ファミリー・ストーンを率いたスライ・ストーン死去

2025/06/10 07:26掲載(Last Update:2025/06/10 08:17)
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Sly Stone
Sly Stone
スライ&ザ・ファミリー・ストーン(Sly and The Family Stone)を率いたスライ・ストーン(Sly Stone)が死去。家族がストーンが6月9日に亡くなったことを発表。82歳でした。

以下、家族からの声明より

「私たちの最愛の父、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのスライ・ストーンが永眠いたしましたことを、深い悲しみとともにご報告いたします。長年にわたるCOPD(慢性閉塞性肺疾患)やその他の基礎疾患との闘病の末、スライは3人の子供たち、親友、そして親族に見守られながら安らかに息を引き取りました。彼の死を悼む一方で、彼の偉大な音楽的レガシーがこれからも世代を超えて響き渡り、人々をインスパイアし続けることを思うと、私たちは心の慰めを見出しています。

スライは音楽界の偉大な存在であり、画期的な革新者であり、ポップ、ファンク、ロックの風景を再定義した真のパイオニアでした。彼の象徴的な楽曲は世界に消えることのない痕跡を残し、その影響力は今も否定しようのないものです。彼の不朽の創造的精神の証として、スライは最近になって自身の人生の物語の脚本を完成させました。このプロジェクトは、2024年に出版された回顧録に続き、今後適切な時期に世界と共有する予定です。

この困難な時期に寄せられた皆様の溢れんばかりの愛と祈りに心から感謝申し上げます。スライの人生とその象徴的な音楽に感銘を受けたすべての方々に、平和と調和が訪れますよう願っております。

皆様の変わらぬご支援に、心から感謝申し上げます」



スライ&ザ・ファミリー・ストーンは、1960年代から1980年代初頭にかけて、激動期のアメリカで、人種やファンク~ロックという音楽ジャンルの壁を越えて、社会に対するメッセージ性の高い作品を数多く発表した伝説的なグループ。

同グループを率いた先駆的なファンクとサイケデリック・ロックのパイオニアであるスライ・ストーンは1943年3月にダラスでシルベスター・スチュワートとして生まれ、ベイエリアで育った。

ストーンは、弟フレディら家族と共に1950年代にヴォーカル・グループで活動を開始。1960年代にはサンフランシスコを拠点とするKSOLでDJを務め、他のグループのプロデュースや演奏にも携わった。1966年、スライとフレディはそれぞれのバンドを統合しスライ&ザ・ファミリー・ストーンを結成した。1967年にデビューし、ウッドストック(1969年)やワイト島フェスティバル(1970年)など歴史的なコンサートにも出演した。

ストーンは、グループでギター奏者、マルチインストゥルメンタリスト、シンガー、主要な作詞作曲家、プロデューサーとして活躍。人種混合のファンク・バンドという当時としては異色のスタイルで、「ベトナム戦争」「黒人の人権問題」「家族の荒廃」などアメリカ社会のシリアスなテーマに挑み続け、「Dance To The Music」「Everyday People」「Family Affair」「I Want to Take You Higher」などのヒット曲を生んだ。また、『Stand!』』(1969年)や『暴動 (There's Riot Goin' On)』(1971年)などオリジナル・アルバムは名盤として高く評価されている。

家族によると、ストーンは「長年にわたるCOPD(慢性閉塞性肺疾患)やその他の基礎疾患との闘病」に苦悩していた。ストーンは薬物使用などトラブルを多く抱えており、バンドとしては1975年に活動を停止(正式な解散は1981年)。その後、公の舞台からほぼ姿を消していた。彼とバンドは1993年にロックの殿堂入りを果たし、ストーンは2006年のグラミー賞授賞式でグループへのトリビュートに出演し、約20年ぶりの公のパフォーマンスを披露した。その後に来日を果たし、多くのファンを歓喜の渦に巻き込んだ。

2023年には回顧録『Thank You (Falettinme Be Mice Elf Agin)』を出版され、2025年にはクエストラヴが監督したドキュメンタリー映画『SLY LIVES! (aka The Burden of Black Genius)』も公開された。