Steely Dan circa 1973. Photo: Michael Ochs Archives/Getty Images
スティーリー・ダン(Steely Dan) は当初、バンドとしてデビューしますが、次第に
ドナルド・フェイゲン(Donald Fagen) と
ウォルター・ベッカー(Walter Becker) はセッションミュージシャンを積極的に起用するようになりました。結成メンバーのギタリスト、
デニー・ダイアス(Denny Dias) はリック・ベアトの最近のインタビューの中で、そもそもフェイゲンとベッカーの2人は「バンドという形態を最初から望んでいなかった」と振り返っています。
スティーリー・ダンは、フェイゲンとベッカーがABCのスタッフライターとして雇われた後に結成されました。プロデューサーのゲイリー・カッツが、彼らの書いた楽曲が当初想定していたABCのアーティストには複雑すぎると判断し、バンドを結成するよう提案しました。結成当初のメンバーは、フェイゲン、ベッカー、ダイアス、ギタリストのジェフ・“スカンク”・バクスター、ドラマーのジム・ホッダー、ヴィーカリストのデイヴィッド・パーマーでした。
ダイアスは、こう話しています。
「彼らはバンドを組むつもりなんて最初からなかった。優秀なミュージシャンをその都度起用できる形が理想だったんだ。ドナルド・フェイゲンがよく言っていたように、彼は完璧なアルバムを作りたかった。レコード契約を得るためにはバンドが必要だったんだ」
カッツはすぐにスティーリー・ダンをABCと契約させ、1980年の『Gaucho』まで彼らのアルバムをプロデュースしました。
デビュー・アルバム『Can't Buy a Thrill』が成功すると、ベッカーとフェイゲンは方向転換を始めました。バクスターとダイアスのギター・デュオは、1973年のセカンド・アルバム『Countdown to Ecstasy』でも継続されましたが、フェイゲンがステージで歌うことに不快感を抱いていたため起用されていたパーマーは、フェイゲンがステージでの歌唱に自信を持つようになると解雇されました。
それ以降、スティーリー・ダンのアルバムには様々なセッション・ミュージシャンが参加するようになりました。
「経済的に余裕ができ、彼らが自分たちの好むように自由に音楽を作れる立場になった途端、彼らはバンドを解散させた。個人的にはバンドを続けてほしかったけど、彼らの言い分も理解できたよ。演奏がどんどん難しくなっていって、それは僕たちの能力の限界に近づいていたからね。この音楽が彼らの望む形で生み出されている世界の方が素晴らしいと思った。だから“いいよ。君たちの好きにすればいい”と言ったんだよ」
1974年にはバクスターが去り、ダイアスはスタジオでの活動は1977年まで続けました。
ダイアスは同じインタビューの中で、在籍中にベッカーから重要な教訓を学んだと語っています。
「ウォルターに“こんなに複雑なハーモニーなのにAMラジオで流れていても違和感がない曲はどうやって書くんだい?”と聞いたことがある。そしたら彼は“それが肝心なところなんだよ。子供たちはそれが洗練されていることに気づかないだろうね”と言っていたよ」
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