ジェネシス(Genesis)が
ピーター・ガブリエル(Peter Gabriel)の後任を探していた時、重要な助言をくれたのが、
イエス(Yes)の
ジョン・アンダーソン(Jon Anderson)だったという。ギタリストの
スティーヴ・ハケット(Steve Hackett)はUCRポッドキャストで当時を振り返っています。
脱退の兆候は、1974年の『The Lamb Lies Down on Broadway(邦題:眩惑のブロードウェイ)』の楽曲制作中に見え始めていました。ガブリエルは、前年に『エクソシスト』で成功を収め、アカデミー賞にもノミネートされたウィリアム・フリードキンとの映画プロジェクトに取り組むために一時的にバンドを離れました。
「ピートはバンドに戻ってきたけど、時間が経つにつれ、このアルバム1枚とツアーを一緒にやったら去るつもりだということが明らかになった。そうすれば僕たちを見捨てることにはならないと。その後、僕たちは新しいヴォーカリストを見つけなければならなかった」
ガブリエルの後任探しは困難なことでしたが、ハケットは解決策がバンド内にあることはわかっていたと語っています。
「メンバーの中にこの役割をこなせる人物が1人いた。でも、フロントマンが、衣装を着てステージを駆け回っていろいろなことをする男から、ドラムの後ろで歌う男に変わることに不安があった。視覚的に非常に難しいと思ったんだよ。でも面白いことに、良いアドバイスをしてくれたのはジョン・アンダーソンだったんだ。彼とはフィルの最初の結婚式に出席した時、初めて会った。彼は僕に“フィルは素晴らしい声を持っている、フィルをリードヴォーカルにして、別の楽器奏者を入れたらどうだい?”と言った。僕は“確かにその通りだ、君の意見に賛成だ”と答えたよ。
フィルは僕がジェネシスのために初めて書いた曲(“For Absent Friends”。1971年の『Nursery Cryme』収録)でも歌っていたし、僕のソロアルバム『Voyage of the Acolyte』でも歌っていた。
でも当時、ジョンには“そうだね、それが正しい選択だと思うけど、他のメンバーはその戦略に納得していないようなんだ”と伝えたんだ。
結果的には、フィルがある時とてもイライラして“この曲を歌わせてくれ”と言った。僕たちは誰がヴォーカルを務めるか決めないままアルバム制作を始めていたんだけど、その曲が結局『A Trick of the Tail』の“Squonk”になった。フィルが素晴らしい仕事をしたので、(ジェネシスのマネージャー)トニー・ストラットン=スミスはトライデント・スタジオで作業中の僕たちの様子を見に来て“シンガーを見つけたようだな、じゃあな!”と言って去っていった。議論が始まる前にね。だからある意味、トニーはフィルがそうするつもりだったことを知っていたように見えた。もしフィルが何らかの理由で拒否されていたら、彼は別のバンドに加入することを決めていたかもしれない。でも幸いなことに、トニーが彼を説得してバンドに留まるようにしてくれたんだ」