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東ドイツに住む青年がストラトを手に入れるのがどれだけ大変だったか ラムシュタインのリヒャルト・Z・クルスペが回想

2025/05/09 16:49掲載
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Richard Zven Kruspe (Image credit: Paul Harries)
Richard Zven Kruspe (Image credit: Paul Harries)
ドイツが東西に分断していた頃、東ドイツに住む青年はストラトキャスターが欲しかったが、東側にはなかった。東と西を行き来する男と知り合った彼は、その男のことをよく知らなかったが、ストラトを持ってきてくれることを期待して、商売で得た全額を男に渡した。その後、男とは連絡が途絶えて、青年は後悔の日々を送っていたが、クリスマス直前にストラトが届く。しかし、粗悪なギターに慣れてしまっていた青年はストラトがしっくりこなかった。結局、売ってしまったという。青年の名前はリヒャルト・Z・クルスペ(Richard Zven Kruspe)。現在は、ラムシュタイン(Rammstein)のギタリストとして活躍しています。

リヒャルトは、Guitar Worldの新しいインタビューの中で、自身が育った分断されたドイツについて興味深いエピソードを明かしています。

リヒャルトは1967年に東ドイツで生まれ育ちました。東西ドイツの統一が実現したのは1990年10月でした。

「良いギターが明らかに不足していた。ディアマント製のひどいギターを1本持っていた。当時は(ジミ)ヘンドリックスをよく聴いていたので、フェンダー・ストラトキャスターを手に入れたかった。絶対に手に入れたいギターだったが、東ドイツでは手に入らなかったんだ。

当時、市場で宝石を売っていた俺は、12,000東マルクを1,200西マルクに交換した。東と西を行き来する男とカフェで出会った。彼のことは知らなかったし、信頼もしていなかった。でも、次に彼が来たときにストラトを持ってきてくれることを期待して、そのお金を全て渡した。彼にまた会えるかどうかは全く分からなかった。

3か月が過ぎても何も起こらなかった。本当に俺は馬鹿だと思った。彼はそのお金を自分のものにするつもりだったに違いないと思っていた。

その後、クリスマス直前に、ドアの前にギターケースが置いてあった。中には黒いストラトキャスターが入っていたんだ」

残念ながら、ストーリーはここでは終わりませんでした。彼とストラトの関係は、彼が長年夢見ていたような愛に満ちた関係にはなりませんでした。

「フェンダーに対する期待はとても高かった。だって本物のピックアップを搭載した本格的なギターだったからね。自分が弾きたいと思っていた曲を全部弾けるようになると思っていた…でもそれがフラストレーションにつながった。あのクソみたいなディアマント・ギターでハムバッカーに慣れてしまっていたから、シングルコイルの音がしっくりこなかった。何だこれはと思った。その経験から学んで、後にそのギターは売ったよ」