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ピンク・フロイドの87年~89年ツアー アメリカ陸軍だけが持つ金色のレーザーが使えたのはなぜか? 音楽業界のベテランが逸話語る

2025/05/06 18:27掲載
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Pink Floyd / Delicate Sound Of Thunder [2020]
Pink Floyd / Delicate Sound Of Thunder [2020]
ピンク・フロイド(Pink Floyd)が1987年~89年にかけて行ったワールド・ツアー『A Momentary Lapse of Reason Tour』は“光と音の大スペクタクル・ショー”と呼ばれ、さまざまな色のレーザーが使われました。その中でも金色のレーザーの入手には逸話がありました。当時、金色のレーザーを持っているのはアメリカ陸軍だけでした。どのような経緯でフロイドが使えるようになったのか? 音楽業界のベテラン、ポール・ラパポートがUltimate Classic Rockのポッドキャストの新しいインタビューの中で語っています。

「ピンク・フロイドは常に“次の一手”を追求するバンドです。最初はみんな緑色のレーザーを使っていましたが、ピンク・フロイドは赤いレーザーを手に入れました。すると他の人たちが真似しはじめるので、次は別の何か新しいものが必要になります。彼らの照明デザイナー、マーク・ブリックマンは金色のレーザーがあることを知りましたが、それは危険のもので、持っているのはアメリカ陸軍だけでした。

彼は陸軍と会談し、“私たちはピンク・フロイドです。金色のレーザーについて聞きたいのですが?”と言いました。陸軍は“金色のレーザーはありますが、とても危険です。これは一般的なレーザーではありません。人々に危害を加える可能性があります。武器なのです”と答えました。

陸軍は(ブリックマンに)“これらのレーザーを貸すことはできますが、すべての公演にアメリカ陸軍の代表者を同行させなければなりません。その代表者がすべての鏡やレーザーが照射されるポイントを二重にチェックしなければなりません。そうしないと危険で、私たちが責任を負うことになります”と伝えました。

これはピンク・フロイドにしかできないことなんです。彼らは特別な存在です。

(ブリックマンは)“わかりました、その条件でお願いします”と言いました。彼は(ピンク・フロイドのマネージャーであるスティーヴ)オルークに電話して“お願いだ、財布の紐を緩めてくれ!”と言わなければならなかったのです。そうして彼らは金色のレーザーを手に入れました。

その後、陸軍の担当者がブリックマンにこう言いました。

“我々は空気中でマイナスイオンを使った実験をしている。君たちはスタジアムで演奏するだろう? もし望むなら、スタジアムの上空からイオンを高速で吸い出して巨大な爆発を起こすことができるんだが、どうだい?”

ブリックマンは膝が震えて、こう答えた。“それはファンにとってちょっと危険すぎるかもしれない。危険な金色のレーザーは自分たちでやるから、その大きな危険は君たちに任せるよ”とね」

メンバーのニック・メイスンは、自身の回顧録『Inside Out a Personal History of Pink Floyd』の中で、このツアーに興味を持つスポンサーは現れなかったため、メイスンとデヴィッド・ギルモアがツアーの初期費用(報道によると5,500万ドル)を自腹で負担することになったと回想しています。幸いなことに、メイスンは1962年製のフェラーリ250 GTOという切り札を持っていました。これを担保にしてツアー費用を調達しています。

このツアーの模様はその後、ライヴ作品『Delicate Sound of Thunder(邦題:光~PERFECT LIVE!)』としてリリースされています。