現在はライヴ活動を再開させている
ジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)ですが、2015年に脳動脈瘤を患った直後は「歩くことも話すこともできず、医師たちは彼女の回復について非常に悲観的だった」という。ミッチェルの友人であり音楽家で神経科学者のダニエル・レヴィティンによると、「好きな音楽を聴く」という音楽療法がミッチェルの回復を助けたという。レヴィティンは英ガーディアン紙の取材に応じています。
2015年、ミッチェルは脳動脈瘤を患いました。レヴィティンによると、「彼女が病院から戻ったとき、彼女は歩くことも話すこともできず、医師たちは彼女の回復について非常に悲観的で、経過観察の予定も立てていなかった」という。一時は、20世紀を代表する才能あるソングライターの一人が永遠に沈黙してしまうかのように思われました。
しかしある日、ミッチェルの自宅で彼女の世話をしていた看護師たちが、キッチンの紙くずの中にレヴィティンの電話番号を見つけ、彼に電話をかけました。看護師たちは、携帯電話から流れる音楽をミッチェルが聴くと元気を取り戻すことに気づき、彼女が反応しそうな曲について何かアドバイスをもらえないかと尋ねました。
じつはレヴィティンは2000年代初頭に、ミッチェルのお気に入りの曲を集めたCDシリーズ「アーティスト・チョイス」の制作を手伝っていました。これはスターバックスがレコードレーベルを買収し、コーヒーショップに音楽を流すために短期間展開したプロジェクトでした。ミッチェルの選曲はドビュッシーからマーヴィン・ゲイ、レナード・コーエンまで多岐にわたっていました。
こうして、ミッチェルのオーダーメイドの音楽療法プログラムがスタートしました。『Music As Medicine』という新著を出したレヴィティンは、パーソナライズされたアプローチが非常に重要であることをよく理解していました。
「治療効果を望むのであれば、その音楽が好きでなければなりません。好きでないと、壁を作ってしまい、コルチゾール値が急上昇します。“ここから連れ出して”と言いたくなるでしょう」
幸運なことに、ミッチェルは健康だった時に、このような状況で必要となるものを正確に書き留めていました。レヴィティンは、ミッチェルが自分らしさを取り戻すことが治療のスピードアップにつながると理解していたため、ハービー・ハンコックのアルバム『River: The Joni Letters』や、グラハム・ナッシュが彼女のために書いた曲「Our House(僕達の家)」など、いくつかの追加資料を送りました。
「Our House」は、ナッシュがミッチェルとロサンゼルスのローレル・キャニオンで同棲していた時期に、ふたりで朝食に出かけ、安い花瓶を買って戻ってきた後、彼らの家で起こった出来事がきっかけで書いたものでした。冒頭の歌詞はこうでした。「I’ll light the fire / You place the flowers in the vase / That you bought today.(僕が暖炉に火を灯すよ。君は今日買った花を花瓶にいけて)」。
ミッチェルは言語療法士や理学療法士の助けを借りて着実に回復していきました。レヴィティンは音楽が重要な役割を果たしたと考えています。
「私たちが知っていることのひとつに、好きな音楽を聴くとドーパミンが増加するということがあります。ドーパミンは、何かをやる気にさせる神経伝達物質です。彼女が誰なのか、彼女が誰だったのか、そして彼女が何を大切にしていたのかを思い出させる音楽があったことは、彼女が回復という非常に困難なものに取り組むことに役立ち、療法士のプロトコルを実行するのを助けました」
レヴィティンは『Music As Medicine』の中で、ミッチェルが脳動脈瘤を患ってから1年後に、彼が花束を持って彼女の自宅を訪問した時のことを、こう記しています。
「彼女は花瓶を持ってくるために、一人でキャビネットのところまで歩いて行った。いくつかの花瓶をどかして、奥のほうに置いてあるお目当ての花瓶を見つけた。それは、取っ手が1つ付いたガラス製の花瓶で、花が描かれていた。“きれいな花瓶だね。どこで手に入れたの?”と僕が尋ねると“ローレルキャニオンにグラハムと一緒に住んでいたときに買ったのよ”と答えた。ああ、あの花瓶か」