ホワイトスネイク(Whitesnake)や
シン・リジィ(Thin Lizzy)などで知られるギタリストの
ジョン・サイクス(John Sykes)が死去。彼のSNSアカウントで発表。65歳でした。
以下、声明より
「ジョン・サイクスが癌との闘病の末に亡くなったことを、私たちは深い悲しみとともに皆様にお知らせいたします。彼は類まれな音楽的才能を持つ人物として多くの人々に記憶されるでしょう。彼を個人的に知らなかった人にお伝えしますと、彼は思慮深く、親切で、カリスマ性のある人物であり、その存在は周囲を明るく照らしていました。
彼は確かに自分のリズムで歩み、常に弱者を応援していました。晩年には、長年にわたって彼を支え続けてくれたファンへの誠実な愛と感謝の気持ちを語っていました。
彼の死は大きな衝撃であり、悲しみに包まれていますが、私たちは彼の思い出の光が彼の不在の影を消し去ることを願っています」
ジョン・サイクスは1959年にイングランドのバークシャー州レディングで生まれ、10代の頃にエリック・クラプトンの音楽に影響を受けてギターを始めた。1978年に最初のバンド、Streetfighterに参加し、1980年に発表された初期のNWOBHMのコンピレーションアルバム『New Electric Warriors』に収録された「She's No Angel」という1曲を録音して音源デビュー。同年、彼はタイガース・オブ・パンタンに参加し、彼らの最初の2枚のアルバム『Spellbound』と『Crazy Nights』に参加した。
1982年にタイガース・オブ・パンタンを脱退した後、サイクスは、フィル・ライノットを含むシン・リジィのメンバーとともにソロシングル「Please Don't Leave Me」をレコーディングした。ほどなくして、脱退したスノウィー・ホワイトの後任としてシン・リジィへの参加を要請されて加入した。1983年、サイクスがこのバンドで残した唯一のアルバム『Thunder & Lightning』が、シン・リジィにとっての最後のスタジオ・アルバムとなった。
シン・リジィが解散した際、サイクスは当初、ライノットの新しいバンド、グランド・スラムで活動を続けるつもりだったが、1984年初頭にデイヴィッド・カヴァデールのホワイトスネイクにスカウトされてミッキー・ムーディの後任としてホワイトスネイクに加入した。既に完成していた前作『Slide It In』の北米向けリミックス版のために再レコーディングに参加。『Slide It In』は大きな成功を収め、米国だけで800万枚以上を売り上げた。
成功にもかかわらず、サイクスとカヴァデールとの関係は険悪になり、1987年のリリース時にはサイクスはバンドを解雇された。 彼はブルー・マーダーを結成し、1989年の同名アルバム、1993年の『Nothin' but Trouble』、1994年のライヴ・アルバム『Screaming Blue Murder: Dedicated to Phil Lynott』の3枚のアルバムをリリースした。
1996年にはサイクス、スコット・ゴーハムが核となり、シン・リジィを再結成。ツアーを行う。同時期にはソロ活動を開始し、1995年にデビューアルバム『Out Of My Tree』をリリースした。
サイクスの最後のソロ・アルバムは2000年の『Nuclear Cowboy』で、20年間沈黙した後、2021年に2枚のシングル、「Dawning Of A Brand New Day」と「Out Alive」をリリースした。サイクスはさらなる作品が控えていることを約束し、2019年にはソロ・アルバムをリリースする計画だったが、しかし、それは実現しなかった。