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フレディ・マーキュリーが亡くなる前まで絵画を買い続けた理由 友人トニー・キング語る

2023/01/19 15:48掲載
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Freddie Mercury and his cats (Oscar and Tiffany)
Freddie Mercury and his cats (Oscar and Tiffany)
クイーン(Queen)フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)は亡くなる前まで絵画を買い続けたという。その理由について、マーキュリーの友人で、60年代〜70年代の英国ロック界をよく知る人物であるトニー・キングが、英ガーディアン紙で話しています。

トニー・キングは、60年代〜70年代にかけての英国ロック界のゼリグ(※至る所に居合わせるカメレオンのような人物)で、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、エルトン・ジョン、フレディ・マーキュリーなどとも親交がありました。

彼はビートルズが「All You Need Is Love」をレコーディングしたときにその場に居合わせ、1960年代にローリング・ストーンズのマネージャー、アンドリュー・ルーグ・オールダムの下で働くために、さまざまなバンドメンバーが寝泊まりしていたアパートで過ごしたこともあります。

またキングは、1967年に英国の性犯罪法が同性愛行為を合法化する前にゲイであることを公表していました。彼は友人のマーキュリーに、パートナーのメアリー・オースティンに自分がゲイであることを告げるように勧めました。

キングは近々出版予定の回顧録『The Tastemaker』にあわせて、英ガーディアン紙のインタビューに応じています。

キングはインタビューの中で、ロネッツの付き添いでロンドンを回ったり、ロイ・オービソンの命令でタクシーから飛び降りて、ロイ・オービソンが買いたいと言っている車を呼び止めたりしたことを回想。

またビートルズが愛したアメリカのR&Bアーティストのシングルを提供したことがきっかけで、ビートルズと友人になったそうで、ビートルズから設立されたばかりのアップル・レコードで働かないかと誘われます。彼は最初、それを断りました。「カウボーイたちが経営していると思った。いいカウボーイたちだけど、レコード会社の人間ではなかった」。その後、リンゴ・スターに「もっと組織的になった」と言われ、考えを改めたという。そして、A&Rの責任者になった彼は、「組織化された」というのは相対的な言葉であることを理解しました。「アップル社は、本当に狂っていたよ。可哀想なのは、毎週金曜日にリンゴの買い物をしなければならない事務員だ。ロビーにはトイレットペーパーが山積みになっていて、それを数えながら、リンゴのために正しい数を用意されていることを確認していた。でも、そのような狂気的な面も素敵だった。アップル社にはダーツチームがあって、いろいろなレコード会社に挑戦していた。キース・ムーンが遊びたがって現れたんだけど、彼は泥酔していたので、ダーツを投げられるようにオフィスの男の子たちが彼を支えなければならなかったんだ」と話しています。

キングは回顧録で80年代のエイズ流行により、多くの友人が亡くなったことにも触れています。

彼が病院で目にした瀕死の友人は、看護師たちが病気の感染を恐れるあまり、髪や爪を切ることを拒んだため、乱れた姿になっていたという。また、もう一人の病気の友人はキングのキッチンで泣き崩れ、死にたくないとすすり泣いていたという。

「私は、文字通りグラウンド・ゼロに住んでいた。グリニッジ・ビレッジの街角で、死んでいく人たちを見た。肌の色や、道行く人に手を引かれているかどうか、杖をついているかどうかで、その人が死につつあるかどうかがわかった。死と隣り合わせだったんだ。その悲惨さ、恐怖、拒絶感を人に説明するのは不可能です」

亡くなった知り合いの中で、フレディ・マーキュリーが最も勇敢だったという。

「とても勇敢だった。最後まで買い物をし、クリスティーズのオークションで絵画を買い占めていた。私はよく彼の隣のベッドに横になり、骨みたいに冷たくなった彼の手を握ったものです。彼が買った絵画を運んできては、ベッドの端に立てかけて、彼に見せていました。私は“フレッド、どうしてこんなことをするの?”と言うと、彼は“他に何をすればいいんだ?外出もできないし、ベッドの上からも離れられない。でも、少なくとも買い物することができるんだ”と言っていた。彼には素晴らしい不屈の精神があったんだよ」