ロバート・プラント(Robert Plant)は、Vultureの新しいインタビューの中で、さまざまな質問に答えています。「ジョン・ボーナムをいつも思い出させる曲」「アン・ウィルソンが“Stairway to Heaven”をカヴァーした時の感情」「『スクール・オブ・ロック』でレッド・ツェッペリンの音楽を許可した理由」「レッド・ツェッペリンの自家用機スターシップの一番の思い出」など。またフィル・コリンズへの感謝も述べています。
■最も強い神話を築いた曲
「すぐにそれとわかるような曲ではないかもしれないけど、俺なら『Presence』の“Achilles Last Stand”を選ぶ。俺の歌詞やメロディーのインプットの多くは、このジャーニーソングに集約されていると思うよ。“No Quarter”、“The Song Remains the Same”、“Kashmir”、“Ramble On”などがそうだね。今だと(アリソン・クラウスとのアルバム)『Raise the Roof』の“"High and Lonesome”もね。10代の頃は、C・S・ルイスやルイス・スペンスの作品や、J・R・R・トールキンの知られざる作品、あるいはほとんど忘れられている作品に惹かれていた。10代後半になると『Beowulf』やサーガを読み始め、俺の故郷である島々との深いつながりのようなものを感じるようになった。
(中略)
そうそう、“Achilles Last Stand”もそうだね。1975年に自動車事故に遭った後、6、7ヶ月ほどギリシャに滞在したことがあった。歩けなかった。この曲の歌詞は、刑務所や車椅子から抜け出したい、どこにいても身動きが取れないという症候群から抜け出したいという切実な気持ちに関係している。俺はアトラス山脈に戻りたかった。安らぎと喜び、そして同時に陰謀と冒険がある場所に」
■ジョン・ボーナムをいつも思い出させる曲
「また“Achilles Last Stand”だけど、これは最初に言うべきだからね。“When the Levee Breaks”もね。実に見事な録音だった。ジョンはあんなにセクシーで、とんでもなくレイドバックした、抑制の効いたグルーヴを演奏している。俺らがバンドの前にいて、ちょっと艶めかしく振る舞っていた時も、たくさん支えてくれた。
でも“Achilles Last Stand”では演奏している彼のことをずっと考えていた。あの3人がスタジオでやっていたことを聴くだけでよかった。ジョンジーの8弦のアレンビックベースを聴いてみてくれ。ジミーのソロは?あれは本当に素晴らしい」
特にフィル・コリンズは、最初のソロ・アルバム『Pictures at Eleven』で原動力となり、ポジティブなエネルギーを発揮してくれた。他の人と一緒になるのは難しい仕事ではなく、ちゃんと調理できるかどうかだけだったんだ。フィルの場合は、アドバイスというより、励ましや思いやりだった。彼は、囚われの身にはならなかった。彼は、ウェールズのスタジオに来て、それを成功させるために短い時間しか許さなかった。誰も演奏の陰に隠れてはいなかった。それから彼は俺と一緒にツアーに出て、基本的に“ロバート、あなたの後ろにずっと座っていた人は、僕のヒーローだった”と言っていた。彼は“君が再び戦えるようになるために、僕にできることがあれば何でもする”と言ってくれた。ちょうど“In the Air Tonight”が発売された時期だった。それでも彼はまだ俺と一緒にミキシングや作業をしていて、特に印象的で成功した時期をスタートさせていた。彼は素晴らしい精神を持っていて、良い人だよ。
『Shaken 'n' Stirred』の頃、俺はトーキング・ヘッズのオープニング・アクトになることを強く決意していた。だから、どんどん斜に構えた音楽を書くようになって、新しいスタジオ・テクニックとかを取り入れていた。道に迷ったかもしれないけど、でも、俺の中にはたくさんのアルバムがあるから、それを使って生きていくしかないんだ。その一方で、俺はそこから這い上がって、リチャード・トンプソンとナイジェル・ケネディと一緒にアルバム『Fate of Nations』を作った。そこで、俺は再び船に戻った。ようやく、レッド・ツェッペリンから抜け出る方法を見つけたんだと思う」
■アン・ウィルソンが「Stairway to Heaven」をカヴァーするのを見たときのあなたの意識の流れ。
「“Stairway to Heaven”には独自の人生がある。後に俺はしばしば疎外感を感じた。親密で、傷つきやすく、誠実な曲として始まったのに、年月が経ってしまった。それはもう俺たちのものではないし、そうあるべきものでもない。
自分の功績に完全に囚われている人もいるわけで、それは本当の地獄に違いない。でも、“Stairway to Heaven”の一つの特徴は、曲の展開がまさにそれだったということかもしれない。どういうわけか、俺にはあまり縁のないもの、とてもとても特別なものだった。あの夜、ケネディ・センターで、あの曲には良くも悪くも責任があることを思い知らされた。アンは素晴らしいシンガーだが、誰が素晴らしい仕事をしたかということではない。その構成全体が“俺たちには(この場は)ふさわしくない”ということを、まざまざと見せつけられるような瞬間だった」
「スターシップのことはよく覚えているよ。あるツアーの最初の旅で飛行機が着陸したとき、機体側面に“Led Zeppelin, Elvis Presley”と書かれているのが、かろうじて透けて見えた。まだ塗装が終わっていなかったんだ。飛行機は往々にして寿命が尽きかけていた。結局アリゾナの墓場に行くことになった。