HOME > ニュース >

著名なロック写真家デニス・オリーガンが「私のベストショット」に選んだのはフレディ・マーキュリーの写真 逸話を語る

2022/11/30 14:56掲載
メールで知らせる   このエントリーをはてなブックマークに追加  
Freddie Mercury at Maine Road, Manchester, in 1986. Photograph: Denis O’Regan/courtesy of west-contemporary-editions.com
Freddie Mercury at Maine Road, Manchester, in 1986. Photograph: Denis O’Regan/courtesy of west-contemporary-editions.com
著名なロック写真家デニス・オリーガンが「私のベストショット」に選んだのは、クイーン(Queen)フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)が彼を象徴するポーズをした写真。英ガーディアン紙の企画で、自身のキャリアと、この写真の逸話を語っています。

「僕はずっとバンドに囲まれて生きてきた。僕はイーリングの学校に通っていたんだけど、そこはフレディ・マーキュリーが美術大学に通っていたところだった。ロニー・ウッドやピート・タウンゼントもそうだった。レッド・ツェッペリン、ザ・フー、ローリング・ストーンズがレコーディングを行ったオリンピック・スタジオは、僕が住んでいたバーンズの近くにあった。ストーンズが“Sympathy for the Devil”を録音したのは、映画を見るための部屋だったんだ。

僕はその周辺に住んでいたんだけど、両親が美術大学に行かせてくれず、結局、シティの保険ブローカーで働くことになった。自分のやりたいこととは違っていた。ハマースミス・オデオンにバンドを観に行くようになり、ジギー・スターダストのデヴィッド・ボウイを観た。ポール・マッカートニー&ウイングスのサウンドチェックを見るために、ロシア製の安いカメラをこっそり持ち込んだこともあった。クイーンがサポートアクトだったので、彼らの演奏を写真に撮り、それを売った。それが、僕にとっての初めての写真販売だった。

僕は独学で学んだ。書類がないと撮影用パスがもらえず、撮影用パスがないと書類がもらえなかったんだけど、ちょうどいいタイミングでパンクがやってきて、突然75ポンドでバンドにアクセスできるようになり、それが音楽誌が欲しがる写真になった。NMEに名前が載るようになってからは、もっといろいろなことができるようになった。

ダムドのライヴで知り合ったカメラマンが、シン・リジィのフィル・ライノットと家をシェアしていた。そこで遊んでいたら、ある日フィルがスカンジナビアに行くって言ったので、“僕も連れて行ってよ”と言ったのが、ツアーフォトグラファーになったきっかけだった。シン・リジィの後は、ボウイ、ストーンズ、ビージーズ、ニール・ダイアモンドを撮った。アメリカでのデュランデュランは、ビートルマニアのようだった。ボウイはとてもフレンドリーで、地に足がついていて、面白い人だった。僕は2年間、ほぼ毎日、彼と一緒に過ごした。ストーンズと一緒にいたことは、信じられないことだった。ロックバンドのプライベートジェットで世界一周して、お金をもらえたら、誰だってうれしいでしょう。

1986年のマジック・ツアーではクイーンを撮影した。このツアーが彼らの最後のツアーになるとは誰も知らなかった。この頃、彼らはとてもビッグになっていた。フレディは一生に一度しか出会えないショーマンだったし、とても素晴らしいライヴだったから、一緒にツアーを回りたいと思っていた。この写真は、彼を象徴する数少ないショットのひとつだと思う。彼のあの形は、他の誰もやったことがない。まるで曲がったおもちゃのようだね。マイクの持ち方も、彼のトレードマークのひとつ。動いている彼を撮影するのはとても難しい。あのポーズをとっているのはほんの一瞬で、くるくる回ってしまうからね。

1巻に36枚しか撮れないし、フィルムも高いから、何枚も撮れない。シャッターを押すたびに1ポンドかかるんだ。だから、僕はスナイパーのようになった。まるで映画のカメラを持っているかのようにフレディを追いかけ回し、そのナノ秒の間に狙いを定めたら撮影するんだ。ピント合わせはすべてマニュアルだった。脳への負担が大きいので、ライヴの後はよくひどい頭痛に襲われたよ。照明やアーティストの動きを注意深く見ているんだ。

これは夏の公演だった。北へ行けば行くほど暗くなるのが遅くなるので、マンチェスターのメイン・ロードではすべて日光で行われた。古いオリンパスで撮影したんだけど、フィルムは一定の速度までしか撮れなかったので、誰かが速く動いている場合は日光が必要だった。また、群衆に向かって撮影することで、彼を慕う人たちが同じ写真に写ることになると考えたんだ。

オフステージではシャイなフレディだけど、一緒にツアーに行った人の中では一番面白い人だった。彼は僕のことをいつもドリスと呼んでいたようだよ。クイーンのブライアン・メイが“知らなかったの?”と言っていた。フレディは僕がいないときにそう呼んでいたのは間違いない。ステージの上では、彼はとても華やかだった。ライヴエイドの時のように、観客全員を指揮することもあった。フレディといえば、このショットでしょう」