David Bowie and Peter Frampton - Seville 1987
ピーター・フランプトン(Peter Frampton) は、学友
デヴィッド・ボウイ(David Bowie) の学生時代を英Classic Rock誌のインタビューの中で語っています。フランプトンの父親はボウイにとって「ちょっと父親代わりみたいなものだった」という。その父親は家で妻に「あのジョーンズ坊や(=ボウイ)は何か変だぞ。ちょっと前まで絶対眉毛があったのに…」と話していたそうで、フランプトンは当時からデヴィッドはすでに変わっていたと思うと話しています。
Q:あなたのお父さんはブロムリーテクニカルスクールで美術教師で、その生徒のひとりがあなたの学友であったデヴィッド・ジョーンズでした。若きデヴィッド・ボウイに触発されて、音楽の道を志すようになったのですか?
「デヴィッドが彼のバンドThe Kon-Radsで演奏しているのがとても印象に残っているよ。スーツを着て髪を立て、サックスを吹いて、リトル・リチャードの曲を歌っていた。たしかに“彼のようになりたい!”と思ったけど、僕はその数年前からすでに演奏を始めていた。まずバンジョーウクレレを手にして、8歳のときのクリスマスにギターを買ってもらったんだ。
僕は何でもすぐに覚えてしまう子供で、両親の目が飛び出るほどだった。“あら、どこで覚えたの?”“ラジオで聞いたんだ” “でも、どうやって?”“わからない、ただコードを見つけて歌っただけだよ”とね。だから、将来はきっとミュージシャンになるんだろうなと思っていたし、両親もそう思っていた」
Q:ボウイとは学生時代に一緒にギターを弾いていたのでは?
「そうだよ。ジョージ・アンダーウッドとデヴィッドは父の教え子だった。ジョージは今でも親しい友人の一人。3人で、みんな音楽にどっぷりハマっていた。最初にテレビに出たのはジョージで、(英国の音楽プロデューサーで、アニマルズなどを手がけた)ミッキー・モストがプロデュースしたカルヴィン・ジェイムスとして出たんだけど、彼はそれは自分には向かないと判断して、美術の道に進んだ。ボウイのアルバム『Hunky Dory』と『ジギー・スターダスト(The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars)』のジャケットは彼がデザインしたものだよ。
父は“みんな、学校にギターを持っていったらどうだ? 朝礼の前に僕の部屋に置いて、昼休みになったら取りに来て弾けばいい”と言った。父は僕たち3人にとって、とても重要な存在だった。バディ・ホリーやエディ・コクランなど、アメリカの音楽なら何でもかけてくれたよ」
Q:当時、ボウイの演劇的な側面が見え隠れしていたのでしょうか?
「ある日、父が学校から帰ってきて(それは僕がデイヴに会う前のことだけど)、母にこう言ったのを覚えているよ。“ペギー、あのジョーンズ坊やは、何か変だぞ”。僕は耳を傾けた。“金曜日には絶対、眉毛があったのに......
”(笑)。デヴィッドはすでに変わっていたと思うよ」
Q:YouTubeに、あなたとボウイがマドリッドでビールを飲める場所を探してまわっている映像がありますよね。学生時代を振り返って、お気に入りの内輪ネタはありますか?
「うーん、内輪ネタもあったけど、正確には覚えていないな。でも、デヴィッドがいつも僕の父の言葉を引用していたことは確かだよ。というのも、父オーウェンは、彼にとってちょっと父親代わりみたいなものだったんだ。デヴィッドはモノマネが上手で、演技もうまいので、いろいろな声で話すのが得意だった。2人ともユーモアのセンスも同じだった、『The Goons』や『モンティ・パイソン』を見て育ったからね。(マドリッドにいた)当時は二人ともお酒が好きだったので、一緒にいるとかなり危なかったかもしれないね(笑)」
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