結局、彼に歌詞を書いてもらうことができなかったので、苦し紛れにソロ・アルバムを出したときに、これ以上待てなくて歌詞を書き上げた。ボブはそれを気に入ってくれたよ。“Waiting For The Morning Light”という曲で、旅先の男が電話の横にある恋人の写真を見て、そこで一晩中起きていて、朝の光を待っている、という内容だ」
「(プロデューサーの)ボブ・エズリンは、1975年に『Destroyer』のために俺らとリハーサルを始めたとき、彼はルー・リードと『Berlin』で仕事をした直後だった。俺らはニューヨークの42丁目と6番街にあるキャロルズでリハーサルをしていた。そこにルーが入ってきた。俺はデヴィッド・ボウイとミック・ロンソンがプロデュースした『Walk On The Wild Side』のことは知っていたし、大ファンだった。
リードが入ってきたとき、俺らはリハーサルをしていて、曲を作ろうとしていたんだけど、ボブがルーに歌詞を一緒に作って欲しい、別の角度から見て欲しい、と言っていた。でも、実際にはうまくいかず、俺らには“Detroit Rock City”や“Flaming Youth”といった新曲があったから待ちきれずに『Destroyer』を作ってしまったんだ。
ボブ・エズリンが次に俺らと仕事をしたのは『 (Music From) The Elder』(1981年)だった。これは最高の意図があったんだけど、方向性を間違えてしまった。(商業的な大失敗の)全責任は俺にある。
ルーがトロントのキングス・シティにやってきて、みんなで座って曲名のアイデアなどを走り書きしていたら、みんながすぐに“A World Without Heroes”に注目した。この曲では、曲が自然に書けるような気がした。ポールの“Every Little Bit Of My Heart”のコード進行と、“A world without heroes... it's no place for me... It's like a bird without wings...”という歌詞を取り入れたら、かなり心に響くものになった。これはルーの貢献で、タイトルだから、彼はソングライティングのクレジットを得たんだ」
彼らは俺のプロダクション会社Man Of A Thousand Faces Incorporatedと独占契約していた。キッスは『Love Gun』のツアーに出るところだったので、俺は“君を縛り付けたくないから、契約を破棄する。倫理的にも道徳的にも、その他の意味でも、君に働かせることができないのであれば、君を閉じ込めておくわけにはいかないんだ。ツアーに出なければならない。6ヶ月か8ヶ月でツアーから戻るよ。自分で契約を取りに行くのは自由だ。もし、その間に契約が取れなかったら、また戻ってくればいい”と言った。