HOME > ニュース >

オジー・オズボーン 『オズボーンズ』時代のファンの熱狂ぶり/『13』は「ブラック・サバスのアルバムとは言えなかった」/ランディ・ローズとの出会いを語る

2022/09/22 16:40掲載
メールで知らせる   このエントリーをはてなブックマークに追加  
Ozzy Osbourne
Ozzy Osbourne
オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)はStereogumのインタビューの中で、『オズボーンズ』時代は「ビートルマニアのような状態だった。車で移動中にトイレに行きたくなったのでマクドナルドのトイレにこっそり入ったら、トイレから出る頃には、駐車場が人で一杯になっていた」と語る。またブラック・サバス(Black Sabbath)の『13』は「ブラック・サバスのアルバムとは言えなかった」と話し、ランディ・ローズとの出会いと彼に感謝していることも語っています。

Q:ブラック・サバスの『13』からもう10年近く経ちます。『13』が残したものに対して、良い印象をお持ちですか?

「そうでもないよ。正直言って、このアルバムはあまり楽しめなかったんだ。(プロデュースした)リック・ルービンは俺の良き友人だけど、俺はただ歌っていただけなんだ。まるでタイムスリップしたような感覚だったけれど、それは輝かしい時代ではなかった。ギーザー(バトラー)はたくさんの曲を書いてくれた。彼はとても優秀なんだ。俺にとって、ものすごい体験ではなかった」

Q:ドアがまだ開いていることを望みますか?それともあなたの中でブラック・サバスは完全に終わっているのでしょうか?

「完全に終わったと言いたい。もう潮時だと思う。正直なところ、本当に後悔しているのは、ビル・ワードがこのアルバムで演奏していなかったことだ。あれはブラック・サバスのアルバムとは言えなかった。いつかみんなで集まって、完璧なブラック・サバスのアルバムを作るかもしれないとは言わないけど、でも、(『13』は)ブラック・サバスがアルバムをレコーディングするような方法で録音されたものではないことは言っておくよ。自分たちが主導権を握っていた時期から、誰かがレコーディングの全権を握っていた時期まで戻ってしまったんだ。『Vol.4』以降では、そのようなことは決してしなかった」

Q:ランディ・ローズの演奏のどこに惹かれたのでしょうか?

「ダナ・ストラムという人を知っている?(ダナはレコードプロデューサーで、スローターのメンバーでもある)」

Q:はい

「彼が連れてきたんだ。俺は自分の周りにいる人たちでバンドを組んだことがなかったし、オーディションを受けたこともなかった。オーディションのやり方も知らなかった。

俺はサンタモニカのフリーウェイからそれほど遠くないアパートにいたんだけど、彼がランディを連れてきたのは、俺がひどく酔っ払っていたときだった。一日中飲んでいた。すると小さな男がやってきて、最初は女の子だと思った。ちっちゃいから。俺は“くそったれ。もういい。もうたくさんだ。家に帰りたい”と言った。もうダメだ、帰ろうと思ったんだ。するとダナが“最後のギタリストを見て”と言った。俺はもうダメだった。 “帰りたい、明日また連れてこい”と言った。翌日もダメだった。スタジオに行ったんだけど、ここがどこかも分からなかった。ランディが小さなアンプと白いレスポールを持って現れて、“何を弾いて欲しい?”と言った。俺は“何でもいいよ”と言った。それから彼は演奏を始めたんだけど、俺は“なんだこれは?”と呆然としていた。俺は彼に“"君の実力はわからないけど、また明日会おう”と言った。次の日、酔いが覚めたとき、彼は俺の心を吹き飛ばした。俺の心を揺さぶった。信じられん奴だった。

ランディ・ローズのことで俺が永遠に感謝しているのは、彼が俺と一緒に時間を過ごしてくれたこと。彼はレコーディング・ブースに座って、俺がステージでできるかどうかに関係なく、彼が演奏したものにメロディーをつけて渡してくれた。そうすると、ステージではできないようなものも出てくるんだけど、彼は“このキーで歌えたらもっといいんだけどな”と言うんだよ。とても辛抱強い人だった」

Q:『オズボーンズ』(2002年〜2005年)は、ブラック・サバスやヘヴィメタルに興味のない人たちがあなたのファンになりました。どんな感じでした?

「あまりの速さに信じられなかった。

ある時、移動中にトイレに行きたくなったので、“次のマクドナルドかガソリンスタンドで車を止めろ”と言った。そのあと、高速道路を降りて、すごく大きなマクドナルドに入った。こっそりトイレに入ったので、誰にも見られてないと思っていた。トイレから出る頃には、駐車場は店員も含めて人で一杯になっていたんだ。

数週間はビートルマニアのような状態だった。外出もできないし、ドアをノックされるし。撮影は実際の家で行った。本物の住所で、俺たちの家を探すために人が来るんだよ」

Q:クレイジーですね。もちろん、今までの音楽活動で有名人だったわけですが、そういう感覚はなかったんですか?レベルが違いましたか? 

「決して維持できないレベルだった。ビートルズだって維持できなかった。多すぎるんだ。マイケル・ジャクソンとか、プリンスとか、そのレベルの名声に到達していて、それを保持する余裕はなかった。そうしたいとも思わない。危険なものだった」

Q:どのように対処したのですか?

「今と同じようにしたよ。どこにも出かけない」

「俺たち全員大変だった。子供たちはナイトクラブに行って、酒を飲み、ドラッグをやっていた。シーズンごとに、シャロンが俺たち全員を座らせて、子供たちと俺に“もう1シーズンやりたい?”と尋ねた。俺は“もういいや”と言った。今までの自分に戻りたいと思った。俺はテレビが好きではない。テレビにあまり興味がないんだ。息子のジャックのためにちょこちょこやってはいるんだけどね。でも、もうああいうのはやらないと思うよ。イギリスに帰ったらBBCの番組をやるけど『オズボーンズ』みたいにはならないよ」