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ブロンディのクレム・バーク イギー・ポップの70年代ツアーを振り返る 爆破予告にもかかわらずライヴの中止を拒否したことも

2022/08/09 14:47掲載
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Clem Burke with Iggy Pop and then wife Suchi - photo by @paul.mcalpine.14
Clem Burke with Iggy Pop and then wife Suchi - photo by @paul.mcalpine.14
ブロンディ(Blondie)のドラマーであるクレム・バーク(Clem Burke)は、1970年代後半にイギー・ポップ(Iggy Pop)のツアーに参加しました。ある公演では、イギーは爆破予告があったにもかかわらずライヴを中止することを拒否したという。バークは当時のツアーについて、Spinのインタビューの中で振り返っています。

「デビー(ハリー)がソロ・アルバムを作るために、ブロンディが休んでいたときのことを話そうか。僕はイギー・ポップと仕事をしていた。彼とキーボードのデヴィッド・ボウイを売りにする最初の全国ツアーのひとつだった。イギーから電話があって、ドラムをやってほしいと言われた。それからカルロス・アロマーから電話があって“やるの?君がやるなら、俺もやる”と言っていた。それで結局、ギタリストは3人になったんだ。

イギーからは“できるだけ大きな音で、できるだけ速く演奏する”という指令があった。また、バックステージでの食事は禁止で、ドラッグとアルコールだけ。“No Blow, No Show”のような雰囲気だった。

信じられないような瞬間がたくさんあった。カナダで吹雪の中、あるブルース・シンガーを待っていたとき、そのシンガーがあらゆるものを運んできてくれたこと。

そして、1981年にデトロイトで、サウンドチェックなしでポンティアック・シルバードームで演奏したこと。イギー、サンタナ、ローリング・ストーンズ、あの夜はローマのコロッセオに入るようなものだった。

イギーはミック・ジャガーが自分に挨拶しなかったことにとてもムッとしていた。イギーはミニスカートにサスペンダー、レザージャケット、ブーツを履いていた。それが初日だった。2日目は、パンストに革のライダースジャケットを着ていた。基本的に腰から下は裸で、スポットライトが当たると、全部が見えるんだよ! 

ある曲で“もっと必要だ”という歌詞があったんだけど、(観客の)みんなそれを“もっとドラッグを、もっとシャンパンを”と受け取っていた。そして次の瞬間、みんなが僕らに向かって物を投げ始めた。ナイフもあった。シャンパンの瓶が空中を舞っていた。イギーがステージの端に立って“もっとくれ”と歌っていたよ。ライヴのプロモーターのビル・グラハムはすべてを集めてリストを作った。コイン、ボトル、キャンディなど、何でもあったよ。

同じツアーでテキサス州オースティンのクラブ・フットに行ったとき、爆破予告騒ぎがあった。ステージ上の誰かが避難しろと叫んだ。でも、イギーはそうしなかった。彼は敬礼をすると言い張り、俺たちはみんな死ぬんだと言い続けて、そのことをみんなに伝えなかったんだ。

サンフランシスコで(詩人の)アレン・ギンズバーグがステージに上がってきて、一緒にマリファナを吸って、聖歌を歌ったこともあったよ。イギーが食事禁止を命じていたので、僕たちはレストランに行き、最後には狂ったように食べた。イギーは3つのメインディッシュを注文して、一人で食べていた。

ああ、すべてが思い出深い」