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ナザレスの創設メンバー ギタリストのマニー・チャールトン死去

2022/07/07 09:42掲載
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Manny Charlton (Image credit: Fin Costello)
Manny Charlton (Image credit: Fin Costello)
スコットランドのハードロック・バンド、ナザレス(Nazareth)の創設メンバーであるギタリストのマニー・チャールトン(Manny Charlton)が7月5日にダラスで死去。バンドの公式SNSアカウントで明らかにされています。声明によると、彼の死は突然で、病気とは関係ないと考えられているとのこと。チャールトンは80歳でした。

マニー・チャールトンは1941年にスペイン南部のアンダルシアで生まれ、子供の頃に家族と共にスコットランドに移住。いくつかのバンドを経てザ・シャデッツに加入した。その残りのメンバーから、1968年、チャールトン、ベーシストのピート・アグニュー、ヴォーカリストのダン・マッカファーティー 、ドラムのダレル・スウィートによってナザレスが結成される。バンド名はザ・バンド「The Weight」の冒頭の歌詞に触発されたもの。

チャールトンは、1971年のセルフタイトルのデビュー・アルバムから1989年の『Snakes 'N' Ladders』まで、ナザレスのすべてアルバムに参加。ディープ・パープルのロジャー・グローヴァーが3枚のアルバムをプロデュースした後、1974年の『Hair Of The Dog(邦題:人食い犬)』では、チャールトンがその役に就き、続くいくつかのアルバムでもプロデュースを務めた。

『Hair Of The Dog』はバンドで最も成功したアルバムとなった。チャールトンのリフをベースにし、後にガンズ・アンド・ローゼズがカヴァーしたタイトル曲と、ブードロー・ブライアントのバラード「Love Hurts」のカヴァーが成功を収め、全世界で200万枚のセールスを記録した。

1989年、アルバム『Snakes 'N' Ladders』のプロモーションのための長いツアーの後、チャールトンはナザレスを脱退。10年間スポットライトから離れた後、1999年に初のソロ・アルバム『Drool』をリリース。その後、自身の名義で、あるいはマニー・チャールトン・バンドの名義でリリースを重ね、2016年に最後の作品『Solo』をリリースした。

チャールトンは1986年、後に『Appetite For Destruction』となるアルバムのセッションでガンズ・アンド・ローゼズと一緒に仕事をした。「Welcome To The Jungle」、「Paradise City」、「Nightrain」、「Rocket Queen」の初期ヴァージョンを含む、彼らが一緒に録音した25曲は最終的には使われなかったが、後に『Appetite〜』のデラックス版リイシューで『Sound City Session』としてリリースされた。