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ナイル・ロジャースはローラースケート好き スケートへの愛や80年代のスケートシーン等について語る

2022/05/25 15:09掲載
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Nile Rodgers at The DiscOasis in L.A. in 2021 GETTY IMAGES
Nile Rodgers at The DiscOasis in L.A. in 2021 GETTY IMAGES
ナイル・ロジャース(Nile Rodgers)はローラースケート好き。今でもマイアミのあちこちに単独で滑りに行く(途中でファンと写真を撮る)という生涯のローラースケート・プレイヤー。Gothamistのインタビューの中で、スケートへの愛や、80年代のニューヨークのスケートシーンなどについて語っています。

Q:今朝、ある人と話していたら、あなたがローラースケートで育って、あちこちを歩き回っていたと聞きました。本当ですか?

「もちろんだよ。僕はニューヨーク生まれで、主にニューヨークで育ったんだけど、成長期にはロサンゼルスに住んでいた時期があったんだ。ロサンゼルスでは、いろいろなものが遠く離れているんだよ。ニューヨークでは、地下鉄に乗れば、あるいは歩いてどこへでも行ける。マンハッタンは下から上まで、たった14マイルしかないんだ。ロサンゼルスに住んでいた頃は、スケートリンクに行くのは大変だった。若いころはとても貧しかったしね。だから、バスに乗ってお金をかけてスケートリンクに行く代わりに、スケートリンクまでスケートをするか、ヒッチハイクで行っていたんだ。

いずれにせよ、よく滑っていたよ。ちょうどその頃、ある子供がスケートボードを発明した。まだあまり知られていなかったんだけど、僕は自分たちのスケートボードは木工所で作っていたんだよ。ローラースケートやスケートボードは、僕たちの得意とするところだった。雨の少ない西海岸ならではの遊びだったね。ニューヨークではスケートはまた違った雰囲気だった。僕はスケートが上手かったので、ニューヨークのスケートリンクではとても人気だった。ロキシーみたいなところは、普段はすごくカッコいいクラブだったんだ」

Q:今、どの時代の話をしているんですか?

「ヒップホップが流行ってるから80年代前半だね。ロキシーではスケートが流行っていた。1982年にロキシーでマドンナに会ったんだけど、もうそこでスケートをやっていたんだ。ロキシーは本当に大きなディスコで、ダンスフロアも広かった。

57丁目にはハイ・ローラーズという店もあって、シェールやダイアナ・ロスとか、そういう人たちとよく行っていたんだ。そうそう、ある晩、トム・クルーズをハイ・ローラーズに連れて行ったんだ。ニューヨークにはローラー・ディスコがたくさんあって、すべてがスタジオ54と他のものを掛け合わせたような場所だった。だから、どんなクラブであっても、ローラースケートをしていても、スタジオ54の雰囲気を出したかったんだろうね。なぜだかわからないけど、それがナイトクラブのゴールドスタンダードだったんだよ。

80年代前半は、ロキシーやハイ・ローラーズ、バスビーズなどでスケートをするのが、僕の場所だった。ブルックリンでもローラースケートをやっていて、すごくホットだった。でも、僕はマンハッタンっ子だったから(笑)、ブルックリンのローラースケートのシーンには行かなかった。その必要はなかったからね。ロキシーで十分だった。付き合っていた女の子がバスビーズを経営することになったので、自分専用のローラースケート場を持っているようなものだったんだよ」

Q:ローラースケート文化はある時期から少し衰退してしまった。おそらく90年代までに。

「そうだね。でも、僕から見ると、こうなんだ。インラインスケートが流行ったんだ。そして、スケートはスタイリングやルーティン、ダンスの動きではなく、スーパーアスレチックなスピード・スポーツになった。まるでオリンピックのようなスポーツだった。不思議だったよ。友達とローラースケートをしにロキシーみたいな大きなフロアに行くと、友達は時速100万マイルで僕の横を通り過ぎていくんだ。彼らはクールに見えることを気にしていない。僕は“あれは何?何してるの?”と思ったけど、彼らはそれが好きなんだ。彼らはインラインスケートで時速100万マイルを出すことが大好きなんだよ。

いつからインラインスケーターがダンススケーターになったのかはわからないけど。その時点で僕の意識は変わった。時代の流れがアレからコレに変わった時みたいな感じだね。アイススケートを履いたことがない僕にとって、インラインスケートというのは不思議な存在だった。時速100万マイルで走るなんて、僕にとってはローラースケートじゃないんだ。僕にとってのローラースケートとは、カッコよくて、常にギリギリのところを滑っているものだった(笑)。何回転もするようなものではなかった。だけど、それがスケートの主流になった。クワッドスケートはどんどん衰退していった。

若い人たちは屋外のスケートパークに夢中で、そこではスケートボードやインラインスケートが主流になっていったような気がする。 “He was a sk8r boi, she said see you later boy”みたいな曲(アヴリル・ラヴィーン)は、スケートボードに乗っている人のことを歌っていて、その時点でスケーターと呼ばれていたんだよね。俺にとってスケートボーダーは、それでずっとやっていたから、自分の中ではスケーターではなかった。さっきも言ったけど、初めてスケートボードを作ったのは僕なんだ。僕にとっては変な意味でスケートの改変コピーだったけどね」

Gothamistによると、パンデミックの間、こうしたローラースケートの名店が復活したようです。ロックフェラー・センターでは、今年初めにフリッパーズが復活しました。スケートは比較的安全にできて、しかも社会的な交流ができるものなので、注目される機会が増えたようです。ロジャースは、昨年LAで誕生し、この夏セントラルパークのウォルマン・リンクで開催されるローラースケート復活イベント『The DiscOasis』で「Groovemaster」を務めることになっています。