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サクソンのTシャツをラーズ・ウルリッヒが着ていなかったら現在のメタリカは存在していなかったかも?メタルブレイドの創設者が回想

2022/03/28 01:59掲載
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Lars Ulrich
Lars Ulrich
サクソンのTシャツをラーズ・ウルリッヒ(Lars Ulrich)が着ていなかったら、現在のメタリカ(Metallica)は存在していなかったかも? 

メタル・ブレイド・レコーズの創設者であるブライアン・スレイゲルは、出演したThe Metal Voiceのポッドキャストの中で、ラーズが着ていたサクソンのTシャツをきっかけに、彼がいかにしてメタリカとの絆を深め、それが最終的に、メタル・ブレイド・レコーズの伝説的コンピレーション・アルバム『Metal Massacre』に至ったかを回想しています。

『Metal Massacre』は、無名のメタル・バンドを発掘して世に送り出したメタル史に残るコンピレーション・アルバム。メタリカの最初のスタジオ録音である「Hit the Lights」が収録された作品で、この作品がなければ現在のメタリカは存在していなかったとも言われています。

ポッドキャストの中でスレイゲルは、1981年にマイケル・シェンカー・グループのライヴでラーズに初めて会い、意気投合したことを語っています。

「マイケル・シェンカー・グループは、1980年12月にカリフォルニア州ロサンゼルス郊外のレシーダにあるカントリー・クラブという会場で演奏した。後でわかったことなんだけど、メタリカやアーマード・セイントなど、(後に『Metal Massacre』に収録される)すべてのバンドが、誰もお互いを知らないのに、そのライヴに参加していたんだ。

俺は親友のジョン・コルナレンスと一緒にそこに行った。彼は基本的にファンジンやコンピレーションの制作を手伝ってくれていたんだ。ライヴが終わって駐車場にいたら、サクソンのヨーロッパのTシャツを着ている子供を見つけたんだ。1980年当時、LAでは誰もサクソンを知らなかったし、ましてやヨーロッパのTシャツを着ている人なんていなかった。ジョンはその子のところに駆け寄り、“そのシャツはどこで手に入れたの?”と言うと、その子は“うわ!サクソンを知っているのか?”と言い、ジョンは“うん”と言うと、“俺は2週間前にデンマークから引っ越してきたばかりなんだ。誰もサクソンを知らないと思っていたよ”と言ったので、ジョンは“いやいや、俺は完全にハマってるよ。友達のブライアンと俺は本当にハマってるんだ、彼に会ってみてよ”って言ったんだよ。

数日後、彼の家だったか俺の家だったか忘れたけど、ラーズと俺とジョンが集まって、NWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル)について熱く語り始めたんだ。デンマークから引っ越してきたラーズは、誰も知り合いがいないし、大の音楽ファンだから、自分と同じぐらいシーンの状況を知っている友達も見つからないだろうと思っていた。だから、みんなすぐに仲良くなったんだ」

それから1年半後、ラーズはスレイゲルに『Metal Massacre』への参加を依頼しました。

「それから1年半後、俺がこのコンピレーション・アルバムを作っていていると、ラーズが俺に電話してきて、“バンドを組んだらアルバムに参加させてくれないか?”って言ったので、俺は“もちろんだよ。バンドが必要なのかい? (これまでのバンドでは)なぜダメなんだ?”と言うと、彼とジェイムズ(ヘットフィールド)とは何度かジャムったことがあるんだけど、実際には何もなかったと言っていた。それから、ラーズから再び連絡が来て“俺たちアルバムに参加できるぞ”って言っていた。1981年と82年に、アルバムに参加することはかなり大きなことだったから、彼らは一緒になったんだ。そして3人で、いや、2人で全部レコーディングしたんだ。そして(メタリカ草創期のギタリスト)ロイド・グラントがリードを弾いて、それがオリジナルの“Hit the Lights”になったんだ」

スレイゲルは、メタリカの物語が本当に動き出すまでには、さらにいくつかの試練があったとも説明しています。

「彼らは、俺にカセットテープを持ってきてくれたんだけど、ギリギリのところで間に合わなかったんだ。おそらく1時間くらい待ち合わなかったと思う。俺らはすべての準備ができていたんだ。

カセットを1/4インチのテープに変換するのに、50ドルもかかったんだ。誰もそのお金を持っていなかった。幸運にもジョン・コルナレンスが50ドル持っていたから、彼が50ドルを支払って、メタリカはアルバムに収録されることになったんだ」