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カール・パーマー、EL&Pがコストがかかっても複雑なショーを行ったのは、彼らの音楽がそれを求めていたからと語る

2021/11/15 02:29掲載
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Carl Palmer
Carl Palmer
エマーソン、レイク&パーマー(Emerson, Lake And Palmer)などで知られるドラマーのカール・パーマー(Carl Palmer)は、サイトMusicRadarのインタビューの中で、ドラムに目覚めた運命の瞬間を語る。また、EL&Pがコストがかかっても複雑で演劇的なステージショーを行ったのは、彼らの音楽がそれを求めていたから、とも語っています。

カール・パーマーは、10歳か11歳のときに、父親に連れられてジャズ・ドラマーのジーン・クルーパの映画『The Gene Krupa Story』を見に行った時が「運命の瞬間」だったという。

「それが運命の瞬間だった。頭の上で電球が光ったんだ。それまではドラマーはバックグラウンドの人間で、音を聞くことはあっても、見ることはほとんどなく、仕事はただ一つ、拍子を取ることだった。ジーン・クルーパがドラマーを前面に押し出したことで、ドラムがいかにエキサイティングでダイナミックな視覚的楽器であるかがわかるようになったんだ。ギターはいらない。サックスもいらない。突然、ステージ上で最もクールな男がドラマーになったんだ」

「子供の頃は、拍子を取ることよりもドラムソロを演奏することの方が簡単だと思っていた(笑)。拍子を取るために一生懸命練習しなければならなかったんだけど、他のものもすべてそこにあるように思えたんだ。みんなは、ヴァイオリンの名手とかギターの名手とか言うけど、僕はドラマーの名手になりたかったんだよ。ドラムの可能性を世界に示したかったんだ」

パーマーはバーミンガムの音楽一家に育ちました。彼の兄、父、祖父、曾祖母は皆、さまざまな楽器を演奏しており、若き日のパーマーは父親にドラマーになることを説得するのに苦労しなかったという。

13歳になると、毎週ロンドンに行き、バディ・リッチの仲間であるブルース・ゲーラーのレッスンを受け、14歳でプロになり、バーミンガムやウォルバーハンプトンで定期的にライヴを行うようになりました。まだ10代だった彼は、1969年にアーサー・ブラウンに参加し、同年にはアトミック・ルースター、1970年にはEL&Pに参加しました。

「すべてがあっという間だった」とパーマーは言います。「突然、キース(エマーソン)とグレッグ(レイク)と一緒にバンドを結成して、2回目のギグがワイト島フェスティバルで7万人の前で行ったんだ。一夜にして、僕たちは無名の存在からプログレのスーパーグループと呼ばれるようになったんだよ」。

そのワイト島でのライヴは、発売されたばかりのボックスセット『Out Of The World』に収録されているライヴの1つです。パーマーによるとEL&Pのライヴはすべて録音していたという。

「ライヴはすべて録音していたんだけど、当時の技術には限界があった。本当に成功したのはほんの一握りだったんだ。機材の不具合・故障は永遠の課題で、どこからともなく聞こえてくる雑音やハムノイズもあった。ワイト島公演では、僕たちのデスクから録音したんだけど、そこからは大量のノイズが聞こえてきたんだ。ありがたいことに、今ではプラグインやテクノロジーを使って、全体を鑑別し、クリーンアップして、ステレオに少し幅を持たせることができるんだ。これまでの中でも、はるかに最高のサウンドになっているよ」

またEL&Pは、「Karn Evil 9」や「The Enemy God Dances With The Black Spirits」のような曲をライヴで演奏するには、それにふさわしい複雑で演劇的なステージショーが必要だと考えていました。

「確かに、スポットライトやディスコボールをいくつか用意して、安く済ませることもできたんだけど、音楽はそれ以上のものを求めていたんだ。レコードで限界に挑戦しているなら、ライヴではさらに上を目指さなければならない。そうでなければ、人々は家でレコードをかけていたほうがいいわけだからね。お金を払って僕たちを見に来てくれるのはとても光栄なことだと思っていたので、忘れられない夜にしたかったんだ。

64人編成のオーケストラと一緒にツアーに出ると、200人近いチームが必要になる。ミュージシャン、技術者、機材スタッフ、ドライバー、パイロット、シェフ......さらには専属のドクターもいた。

もちろん、ツアーには莫大な費用がかかり、結果的に世界で最も裕福な人間になることはできなかったけど、信じられないほどの満足感があった。そして、誇りにも思っていた。僕たちを見に来てくれた人は、お金を払っただけの価値があったよ」

70年代後半にはパンク・ムーブメントが起きます。EL&Pも新興のムーブメントから標的と見なされていましたが、パーマーはこう話しています。

「パンクからは、素晴らしい音楽が生まれたよね。ザ・クラッシュ、ザ・ピストルズ、ザ・ストラングラーズなど。確かに、彼らは僕たちを嫌っていると常に言われていたけど、僕たちは気にしなかった。音楽とはそういうものだ。物事は変わるものだよ。

僕たちにとって重要なことは、起こっていることに合わせて自分たちのやっていることを変えないことだった。音楽の流行を追いかけようとしてもうまくいかない。自分の知っていることに忠実であること。誠実であること。自分が知っていることをやる。でもそれを、もっと良くしようとすることなんだよ。

面白いのは、キースがカリフォルニアに住んでいた頃、キースとジョン・ライドンが隣人になったことだよ。彼らは良い仲間になったんだ!」

パーマーは現在もCarl Palmer's ELP Legacyとしてツアーを行っていますが、EL&Pのサウンドを忠実に再現する試みは避けています。

「ラインナップは、ベース、ドラム、ギターなんだ。かつてサウンドを忠実に再現しようとするのは、しっくりこなかったんだ。プラグインを使ってギターをシンセのように鳴らすことはできるけど、実際にギターで演奏すると、曲に違ったエネルギーが生まれるんだよ。

“Tarkus”や“Knife-Edge”のような初期の作品を人々がまだ聴きたがっていることは、僕にとってエキサイティングなことなんだ。何年も前に作った音楽は、時の試練に耐えてきたんだね。ハハハ! プログレは長続きしないと言われていたのに!」