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ジョー・ペリー、2000年代後半にスティーヴン・タイラー抜きでエアロスミスの活動を行うとした理由を語る

2021/08/12 15:18掲載
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Aerosmith
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エアロスミス(Aerosmith)は2000年代後半、スティーヴン・タイラー(Steven Tyler)と他のメンバーの間に軋轢が生じていました。ジョー・ペリー(Joe Perry)は別のシンガーを雇ってタイラー抜きで活動したいとも考えていました。候補として挙がったひとりはサミー・ヘイガー(Sammy Hagar)でした。ジョーは当時のことをサイトUltimate Classic Rockのインタビューの中で語っています。

インタビュアーが「なぜサミーだったんですか?」と尋ねると、ジョーは次のように答えています。

「それは、本当にいつものことで、たくさんのぶつかり合いなしには、バンドを維持することはできないものなんだ。

バンド・ミーティングをしても、お互いに話をすることもなく、中に入ると、それぞれがブリーフケースを持った弁護士を連れてきて、用件を済ませて出て行っていた。

皆、最初に始めたときの皆ではなかった...。どんなバンドにも浮き沈みがあるからね。ただ、ある時点で...。

よくわからない、誰にでも何かがある。(1979年に)4年間バンドを離れ、それ以来、6枚か7枚のソロ・レコードを出したけど、もう1枚出すことになった...。

何年も前から、誰もが自分のやりたいことをやるようになった。スティーヴンがテレビ番組に出演していたのを覚えているけど、あれは素晴らしかったね。

俺は、彼がそういうことをしなければならないと思っていたし、彼がやったソロ・レコードもそうだ。バンドはそれほどタイトではなかったし、会話もあったし、弁護士やさまざまなマネージャーなど、多くの人が関わっていた。

スティーヴンは4年間の休暇をとって、自分のやりたいことをしたいのではないかと思った。だから、他のリードシンガーを探すということは、それが起こった途端に考えが浮かんだんだよ。

どういう経緯でそうなったのかは分からないけど、サムはとても穏やかな人で、付き合いやすい人だと思っていた。そして、彼は確かにパイプを持っていたから、そういう考えが出てくるのもわかる。

その時点で候補者リストはあった。物事は進み、誰もが自分のやりたいことをやって、そしてゆっくりと元の状態に戻っていったんだ。

俺とブラッドが去ったときよりも、バラバラになっていたと言えるだろう。スティーヴンにしても何にしても、“もういいよ、十分だよ”と思っていた時があった。

“絆”を保つためには必要なことだ。今日現在、俺は彼を自分にはない兄弟だと思っているよ。

俺たちは今、これまでにないほど緊密な関係を築いていると思う。再び一緒に旅ができることを楽しみにしている。長い旅になるぜ」

サミー・ヘイガーは以前、Ultimate Classic Rockにこう語っています。

「ジョー・ペリーが僕をエアロスミスに参加させようとしたことがあって、マネージメントから南米に行って試してみないかと言われたんだ。

もう少しでやるところだったよ。もし僕が試していたら、彼の代わりになっていたと思うよ。

いつも“後任”というのは、僕のような男にとっては奇妙な遺産だね。

問題は、僕がすべてのことから毒気を取り除いてしまうことだね!(笑)。僕は毒舌家ではないから、きっと失敗していたよ。議論が始まったらすぐに逃げ出す。そんな悪い状況にはいられないよ。

でも、5分間は本当に魅力的だった。(南米の)カボに着いてからは、本当にリラックスして考えた。すべての曲を聴いたりしていたし、いろいろなことを考えていた。“Livin' on the Edge”この曲を殺してやろう!とも思っていた。

そして、ビーチで目が覚めて、こう思ったんだ。“僕にはできない”。それが終わりだったんだ」