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「原信夫とシャープス&フラッツ」のリーダー ジャズサックス奏者の原信夫が死去

2021/06/22 07:48掲載
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原信夫
原信夫
ジャズ・ビッグ・バンド「原信夫とシャープス&フラッツ」のリーダーとして活躍したジャズサックス奏者の原信夫(本名・塚原信夫)が6月21日、肺炎のため東京都内の病院で死去。94歳でした。

原信夫は富山県出身。16歳で旧海軍軍楽隊に入り、アルトサックスを学ぶ。

1951年、10人編成で「原信夫とシャープス&フラッツ」をスタートさせた原信夫は、短期間で17人編成のビッグ・バンド・スタイルを取り入れる。人気・実力とも日本屈指のバンドとなり、ビッグバンドの黄金期を支えた。

NHK交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団とも共演。また美空ひばりや江利チエミなどと出逢い、バックバンドを務め、原信夫自身の作曲による美空ひばりの「真赤な太陽」が大ヒットするなど、全国的な規模で幅広いファンを獲得した。

1967年には日本人バンドとして初めてシャープス&フラッツは<アメリカ・ニューポート・ジャズ・フェスティバル>に出演し成功を収め、その後、さまざま国から招待され世界中で公演を行った。

クインシー・ジョーンズ、サミー・デイヴィスJr.、ダイアナ・ロス、イブ・モンタン、パット・ブーン、ペリー・コモらとも共演し、日本の音楽界への貢献だけでなく、世界の「シャープス&フラッツ」としてその実力をアピールしてきた。

こうした幅広く精力的な活動によって、南里文雄賞、芸術祭優秀賞、芸術祭賞、日本レコード大賞の功労賞など数々の賞に輝き、リーダーの原信夫は1988年に紫綬褒章を受章した。