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星加ルミ子著『私が会ったビートルズとロック・スター』刊行記念トーク&サイン会のレポートが到着

2016/11/14 12:23掲載
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星加ルミ子 / 私が会ったビートルズとロック・スター
星加ルミ子 / 私が会ったビートルズとロック・スター
11月10日に開催された、星加ルミ子著『私が会ったビートルズとロック・スター』刊行記念トーク&サイン会のレポートが到着。当日は著者の星加ルミ子が、ビートルズをはじめ、数々の取材現場で体験されたエピソードなどを語っています

以下、シンコ-ミュージックより



11月10日、元「ミュージック・ライフ」誌編集長、星加ルミ子著「私が会ったビートルズとロック・スター」の発売記念トーク&サイン会が三省堂池袋店にて開催された。当日は担当編集者(笹川)が司会を務め、著者の星加ルミ子さんを迎え、来場者との質疑応答含め1時間を超す和やかな雰囲気の中で行われた。

笹川:「私が会ったビートルズとロック・スター」編集担当の笹川です、本日は司会進行を務めさせていただきます。
星加:今日は大勢お集りいただきありがとうございます。
笹川:この本の企画がスタートしたのはちょうど1年前くらいでした。
星加:最初は二ヶ月くらいで書くつもりで、昨年内に書き上げて今年の3月くらいに発売する予定だったんですが…。
笹川:今年の5?6月はビートルズ来日50周年で盛り上がるというので、その前振りくらいの時期がいいかなと思いまして。
星加:ところが私が一行も書けていなくて(笑)。私、書き出すと速いんですけど、そこに行き着くまでが長くて、1ヶ月くらいかかるんです。それで6月も過ぎて…。
笹川:そうこうするうちに、映画『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK』が9月頃に公開されることがわかったので、そのタイミングは逃しちゃまずいなということで頑張っていただいたんです。
星加:猛烈なラスト・スパートでやっと完成にこぎ着けました。内容は、"全部好きなことを書いてください"ということで一任されていましたので、ビートルズ来日50年を意識しては書いたんですけど、これまでもビートルズを取材したときの記録的なことは何冊か単行本になっていたので、何か違うテーマはないかなと考え、私の独断でちょっと違った形で書かせてもらいました。
今年も"ビートルズと会った数少ない生き証人"ということでいろいろなところで話させていただく機会があったんですけど、そこで"そうだ! 私はしゃべっているように書けばいいんだ"って気がついたんです。いつも皆さんに聞いていただいているような口調と発想なら、これはすらすら書けるぞと(笑)。
笹川:最初の頃いただいた原稿は違う口調でしたけど、途中から変えられて。
星加:これまでの取材の体験で書いてこなかったこととか、「ミュージック・ライフ」でも紹介できなかったことをお話しするような感じで書こう。そう思ってからは速かったですよ。1年前になぜこれに気がつかなかったんでしょう…と思うくらい(笑)。

<スーパースターの陰には必ず敏腕マネージャーの存在が>

星加:今回、何を書こうかというところでちょっと迷ったんです。そこで、書きたいことをメモにしてたので、その中から三つのテーマに絞りました。一つ目は、ビートルズやローリング・ストーンズ、エルヴィス・プレスリー、ボブ・ディランといったスーパースターに付いて素晴らしい仕事をするマネージャーのことを書きたいと思ったんです。彼らは陰の存在ですからもの凄い力は持っていても表には出ない。イギリスのマスコミ界ではビートルズのマネージャーだったブライアン・エプスタインの写真を撮るのは大変だと言われてました。ビートルズと一緒にいてもカメラを向けるとすっと隠れてしまうって。自分が常にスターを育て、管理し、マネージメントしているという誇りを持ってるから表には出ないんですね。
エプスタインとは、ビートルズの66年の北米ツアーの5カ所を取材したときに初めてゆっくりといろんな話をしました。シェイ・スタジアムのステージの裏側に"ここなら話ができるよ"って連れて来てくれたり、カメラマンの長谷部さんがカメラを向けても逃げずにポーズを取ってくれたりして。「ミュージック・ライフ」が日本でビートルズを大々的に宣伝して、レコードの売り上げに貢献してくれた雑誌だということで非常に大切にしてくれた…ということは確かだったようです。ですからエプスタインは私に対して最後まで隣人・友人のように気さくな態度でつき合ってくれました、これは非常に珍しいことだったようです。
笹川:最初に原稿の話をしたときもエプスタインやエルヴィス・プレスリーのマネージャーのパーカー大佐のことを話されてましたね。
星加:スターを取材するときには周りにいる大勢の人たちと会ったり、観察する機会がありました。ボブ・ディランのマネージャーのアルバート・グロスマンというのも、言いたいことをズバズバ言う業界では嫌われ者だったんですが、この人も私を可愛がってくれました。こちらも当時24歳?27歳の頃ですから、若い女の子ということで警戒心を持たなくていいし、「ミュージック・ライフ」がファン雑誌でゴシップ記事とかは一切載せないということをよく分かってくれてたんでしょうね。
ですから、そういうスターを支えている人たちのことをまず書きたいと思ったんです。当時の「ミュージック・ライフ」では書けなかったことでもありますし…中でもプレスリーのマネージャーのパーカー大佐というのは本当にムカつくイヤな男でした(笑)。でも彼は本当にビジネスマンとしては優れた人で、60年代に入って人気が下り坂になったプレスリーを、主演映画を続けて作ることでスターとして持続させましたから。

<若い人にはもっと冒険心を持って欲しい>

星加:今から50年前というと、若い皆さんは想像もつかないでしょうけど、パソコンはおろか携帯電話やファックスもなければ宅配便もない時代だったんです。当時はそれが当たり前でしたから不便だともなんとも思わなかったし、情報もパソコンで調べられるわけではないので、自分でその場その場で考えて行動していくしかなかった。そんなときにイギリスに行ってビートルズを取材してこいって言われて、もう開き直るしかなかったですね。今の若い人たちが不幸だなぁと思うのは、情報が溢れかえっている分ちょっと臆病になってるんじゃないかと。何かをやろうとしたときにまず情報を検索して、その段階で頭の中で考えてあきらめることもあったりして。ですから逆に何も知らないほど強いことはないと思うんですね。この本で二つ目に書きたかったことがこれです。
「まずはパソコンを閉じて、本屋やレコード店に足を運べば、きっとあなたが知らないこととの出会いがあるかもしれないですよ。知らない所にもまずは無手勝流で飛び込んでみて、そこで傷ついても若いから治りは早いし、またやり直せばいい。頭を知識でいっぱいにして尻込みしてないで世の中に出てごらんなさい」ということ。そうすれば自分に対する自信もつくんですね。若い人にもっと冒険心を持って欲しいと思います。

<当時はかけなかったエピソードや面白い話を次々思い出して書きました>

星加:「ミュージック・ライフ」は写真がたくさん載ったファン雑誌ですから、私が15年間在籍した中で見聞きした、例えば先ほどのマネージャーの話とかは書くところがなかったんですね。その後出した本もビートルズを取材した武勇伝みたいなものが多かったし、実際は失敗もたくさんしてるし、恥もかいてるんです。ですから、三つ目になるんですけど、そういった話や、いろんな場面でいろんな人に会っていろんな知識を仕入れたり面白い話を聞いたりしたことを書いてみようと。初めてそういう気になって、この本にはそういったコボレ話的なこともたくさん書きました。
笹川:星加さんといえばやはりビートルズなんですが、それ以外にもローリング・ストーンズとかエリック・クラプトンだとか、ビー・ジーズとかポール・サイモンとかすごい人たちにお会いになってますよね。
星加:1ドル360円、1ポンド1000円という時代に海外に行くというのは大変なことだったんですよ、私は記者ですから海外へ持ち出しできる金額も多かったし、申請さえすれば長期に滞在できたんです。
笹川:1965年6月にロンドンでビートルズを取材されたときは、取材日も決まっていないからずっと待ってらしたんですか?
星加:取材ができる確約もなかったんです。以前からエプスタインには何度も取材申し込みをしてたんですけど、「世界中から申し込みが来ている中で、1社にだけ取材をOKするわけにはいかない」と丁寧な断りをずっとされていました。そこで、"これは日本にいてもしょうがない、ロンドンで直にエプスタインに会ってお願いすればなんとかなるかもしれない"と思って行きました。会社も私の心臓に賭けてくれたんですかね(笑)。
笹川:ロンドンに直接入られたんですか?
星加:その前に、ビートルズがデビュー前に出演していた(ドイツの)ハンブルクのクラブを取材したんです。もしビートルズの取材がとれなくてもせっかく来たんだからできるだけ関係のある所の記事を作ろうと思って、カイザーケラーとかスタークラブで支配人に当時のことを聞いて写真を撮ったりしたんです。
笹川:そこからパリでカメラマンの長谷部さんと合流。
星加:長谷部さんの顔は知ってましたけど、仕事をするのは初めてで、それからパリに一週間いましてシルヴィ・ヴァルタンとかフランス・ギャルとかを取材しました。
笹川:その間も(ブライアン・エプスタインとビートルズへのお土産の)日本刀は持ち歩いてたんですか?
星加:はい(笑)。この日本刀は本当に無知であったために持って行けたんです。真剣1本と模造刀4本を紙袋に入れてじゃらじゃらいわせながら手持ちの機内持ち込みにして、税関で聞かれたときは記者証を見せて向こうでお世話になった人たちへのお土産だといって通りました。全部で6カ所あった税関全部をそれで(笑)。確かに、おかっぱ頭の24歳の女の子がそんなぶっそうな物を持ってるなんて誰も考えなかったと思うんです、それが良かったんですね。結果論ですけど(笑)。それと私自身がこの刀の価値をまったく知らなかったのも良かったんです、日本に帰ってから聞いて気絶しそうになりました、家が一軒買えるくらいの価値だったんですって(笑)。ま、この話はいろいろな所でお話ししてるんですが、それ以外の未だ書いていなかったことをこの本では散りばめました。

原稿の後半では興が乗ったのか次々と断片的にエピソードが出てきたそうで、ビー・ジーズのバリー・ギブから黄色いバラを一輪、毎日一週間届けられてちょっと心が動いた話や、ポール・サイモン、ロッド・スチュワートなどとのエピソードが語られた。

笹川:では最後に来場されたみなさんとの質疑応答を。
星加:何でもいいですよ。
質問1:スコット・ウォーカーが大好きなんですけど、直接会った方から話を伺うのは初めてなので…。例えばビートルズとかミック・ジャガーとかと共通するオーラはあったのかどうかとか。
星加:ミック・ジャガーには67年にロンドンに行ったときに彼一人と会ったことがあるんですけど、彼は典型的な英国紳士でした。頭が切れてなおかつ気配りのできる人で、こちらがたどたどしい英語で質問してもすぐに理解してくれて、丁寧に分りやすい英語で話してくれました。そのときはまだライヴ・パフォーマンスを見たこともなかったんですけど、ステージの彼からは想像できない一面を見た気がします。ミュージシャンとしての顔と普段の顔を見事に使い分けてたんですね。
スコット・ウォーカーは…彼には悩まされました。「ミュージック・ライフ」でビートルズの次のスターを捜そうということでウォーカー・ブラザーズに目をつけたんですけど、実際イギリスに行ってみると彼らはとっくに解散してしまっていたんですね。でもなんとか再編成の根回しをして一週間くらいプロモーションで日本に来てもらったんです。ところがスコット・ウォーカーって手強い男で、言ってみれば協調性がないんですよ(笑)。でもだんだん付き合っていく内に、根は悪い人じゃないっていうのは分ってきました。アメリカでもイギリスでもかなり苦労したからか、警戒心が強くて人を信じられないといったポーズをとってたんですね。これはスターになるなって思いました。今も頑張ってやってるようですし。
質問2:リンゴ・スターが来日しましたが、お会いになりましたか?
星加:今回のライヴは急用があって行きそびれてしまいました。前に来日したときもレコード会社の方からリンゴとの会食に誘われたんですが、行きませんでした。私はビートルズが解散してからは、1978年に来日していたジョン・レノンとオノ・ヨーコさんに会った以外には誰とも会ってません。私は元々雑誌の記者ですから、仕事で行くのならいくらでも行きますけど、ただ行って"お互い50年経ったわね…"とか話すのは嫌なので、お誘いは断ってきました。今は誰も誘ってくれませんけど(笑)。
笹川:ではそろそろ質疑応答は終了させていただきます、ありがとうございました。
星加:長い間お付き合いいただき、みなさん本当にありがとうございました。

この後サイン会が行われた。
●星加ルミ子 著『私が会ったビートルズとロック・スター』

元『ミュージック・ライフ』編集長の星加ルミ子による書き下ろし音楽エッセー本。1965年6月15日、ロンドンEMIスタジオでのビートルズ単独会見から始まる、自身の音楽人生を振り返った書き下ろしエンタメ・エッセー。ビートルズやエルヴィス・プレスリーといったスーパースターを支えた人々にスポットを当てつつ、60年代の日本、世界、音楽、社会、文化を俯瞰する。
四六判/200頁/本体1,400円+税/発売中
ISBN:978-4-401-64330-4