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ジャニス・ジョプリンのドキュメンタリー映画『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』 日本公開の初日が決定

2016/07/28 18:47掲載
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ジャニス:リトル・ガール・ブルー
ジャニス:リトル・ガール・ブルー
ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin)のドキュメンタリー映画『ジャニス:リトル・ガール・ブルー(Janis: Little Girl Blue)』。日本公開の初日が決定。シアター・イメージフォーラム(東京)での公開日が9月10日(土)に決定しています。

本作では、遺族の全面協力によりバンド・メンバーや親しい友人、昔の恋人、家族といった生前ジャニスの最も身近にいた人々からのインタビュー映像と、故郷を離れロックスターとして大きな注目を浴びるようになっても、変わらずにずっと書き続けていた両親や兄弟、恋人へのパーソナルな手紙を軸に、ロックスターとしてのジャニス・ジョプリンではなく、一人の女性としての「ジャニス・ジョプリン」が立体的に浮かびあがってきます。アーカイブ映像では、ジョン・レノン、ピンク、ジュリエット・ルイスなども登場します。

監督は、社会性の強いテーマをエッジの効いた作風で描き高い評価を得て来たエイミー・バーグ(『フロム・イーブル 〜バチカンを震撼させた悪魔の神父〜』ほか)が務め、同じ女性としてジャニス・ジョプリンの素顔を丁寧に描き切っています。製作は、監督としてアカデミー賞受賞経験もあるドキュメンタリーの巨匠アレックス・ギブニーです。

ナレーションはキャット・パワー(Cat Power)ことショーン・マーシャルが担当しています。

キャット・パワーは本作について以下のようにコメントしています。

「ジャニスを傷つけてしまうんじゃないかと思って怖かったわ。彼女は漫画のキャラクターなどではなく、熱いハートをもったひとりの女の子だったのよ。でも、彼女の手紙を読んで心が動かされたの。わたしも、故郷の南部を飛び出してきて、家族の中では変わり者の一人だった。ジャニスの手紙は、私自身が祖母に宛てて書いた手紙を思い出させたわ。自分が書いたものかと錯覚するくらいだった。彼女の最後の手紙を読むのは、本当に辛くて取り乱してしまった。でも、彼女が近くで私を励ましてくれていると思ったら、なんとか乗り越えることがきでたわ」

映画『ジャニス:リトル・ガール・ブルー(Janis: Little Girl Blue)』は、9月10日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国にて順次公開。

また、未発表音源も収録した公式サウンドトラック・アルバムの日本でも発売中。リリース元はソニー・ミュージックジャパンインターナショナル。

サントラはオリジナル・アルバムからの楽曲や、さまざまなライヴ音源など全17曲を収録予定。収録曲の中には、これまで未発表であった1968年4月にニューヨークのジェネレーション・クラブで行われた、キング牧師追悼コンサートで収録された「Piece Of My Heart(邦題:心のカケラ)」の未発表ライヴ音源もあり。海外盤は3月に発売済。

以下は以前に公開された映像

●『Janis: Little Girl Blue (Original Motion Picture Soundtrack)』

Careless Love – Janis Joplin (from: Janis – Early Performances)

Down On Me – Big Brother & The Holding Company (from: Big Brother & The Holding Company)

Women Is Losers – Big Brother & The Holding Company (from: Janis Boxset)

Ball And Chain – Big Brother & The Holding Company (recorded live at the Monterey Pop Festival – June 17, 1967)

Piece of My Heart – Big Brother & The Holding Company (Live at the Generation Club – April 1968, previously unreleased as audio only)

Catch Me Daddy – Big Brother & The Holding Company (recorded live at the Grande Ballroom, Detroit – March 2, 1968; from: Cheap Thrills Expanded Edition)

Magic Of Love – Big Brother & The Holding Company (recorded live at the Grande Ballroom, Detroit – March 2, 1968; from: Cheap Thrills Expanded Edition)

Summertime – Big Brother & The Holding Company (from: Cheap Thrills)

Raise Your Hand – Janis Joplin with the Kozmic Blues Band (recorded live in Frankfort, West Germany – April 12, 1969; from: Farewell Song)

Maybe – Janis Joplin (from: I Got Dem Ol' Kozmic Blues Again Mama!)

Work Me, Lord – Janis Joplin (recorded live at the Woodstock Music & Art Fair – August 17, 1969)

Trust Me – Janis Joplin & The Full Tilt Boogie Band (from: Pearl)

Cry Baby – Janis Joplin (recorded live in Calgary during the Festival Express Tour – July 4, 1970; from: Pearl Expanded Edition)

Tell Mama – Janis Joplin (recorded live in Calgary during the Festival Express Tour – July 4, 1970; from: Pearl Expanded Edition)

Get It While You Can – Janis Joplin & The Full Tilt Boogie Band (from: Pearl)

Me And Bobby McGee – Janis Joplin & The Full Tilt Boogie Band (from: Pearl)

Little Girl Blue – Janis Joplin (from: I Got Dem Ol' Kozmic Blues Again Mama!)

●『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』
9月10日(土)よりシアター・イメージフォーラム他全国にて順次公開

【監督】エイミー・バーグ『フロム・イーブル〜バチカンを震撼させた悪魔の神父〜』

【製作】アレックス・ギブニー『エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?』『「闇」へ』

【出演】
サム・アンドリュー、ピーター・アルビン、デイヴ・ゲッツ(以上、ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー)
クリス・クリストファーソン、カントリー・ジョー・マクドナルド、ボブ・ウィアー(グレイトフル・デッド),
デヴィッド・ドルトン(作家)、クライヴ・ディヴィス(コロンビア社長)、ディック・キャヴェット(TVタレント)、
ローラ・ジョプリン(妹)、マイケル・ジョプリン(弟)他

【アーカイブ映像】ジャニス・ジョプリン、オーティス・レディング、ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、ピンク他

2015年|アメリカ|カラー|DCP|103分 原題:『JANIS:LITTLE GIRL BLUE』
配給・宣伝:ザジフィルムズ 提供:キングレコード

(c) 2015 by JANIS PRODUCTIONS LLC & THIRTEEN PRODUCTIONS LLC. All rights reserved.

<ジャニス・ジョプリン>

テキサスの田舎町で、ごく普通の中流の家庭で生まれたジャニスは、容姿へのコンプレックスや元来の内気で繊細な性格から、学校になじめず、他の生徒から孤立を深めていくようになります。しかし、やがてブルースやフォークに出会い、自分でもバンドを組み歌い始めます。63年、フラワー・ムーヴメントの中心地サンフランシスコへ単身趣き、そこで圧倒的な歌唱力から歌手としての存在感を高め、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーに加入。67年のモンタレー・ポップ・フェスティバルでのライブで一夜にしてスターダムにのし上がった彼女は、69年のウッドストック・フェスティバルへの出演、70年の列車に乗ってカナダを横断しながら行うツアー「フェスティバル・エクスプレス」など精力的に活動し、60年代後半、公民権運動やベトナム反戦運動、ウーマンリブなどカウンターカルチャーが吹き荒れる激動の時代の象徴として一躍、大きな脚光を浴びるようになります。しかし、1970年10月4日、アルバム『パール』のレコーディング中にヘロインのオーバー・ドーズにより27歳の若さで死去。