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ビートルズのCD13枚組ボックス『The U.S. Albums』が日本でも発売に

2013/12/13 12:34掲載(Last Update:2013/12/13 13:03)
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Beatles / The U.S. Albums
Beatles / The U.S. Albums
ビートルズ(Beatles)のCD13枚組ボックス『The U.S. Albums』が日本でも発売に。国内盤は2014年1月22日で日本語解説/歌詞・対訳付き。31,500円(英:1月20日、米:1月21日)

ボックスはアルバムの米国版を収めたもの。米版『A Hard Day’s Night (Original Motion Picture Soundtrack)』『The Beatles’ Story』『Yesterday And Today』『Hey Jude』、米国版『Revolver』は初CD化作品。いずれもモノとステレオを収録しますが、『The Beatles’ Story』と『Hey Jude』はステレオのみ。すべてのアルバムはオリジナルLPを模した紙ジャケット仕様でインナースリーブも再現。ボックスには64ページのブックレットも付属されます。なお、海外では期間限定でバラ売りも予定。『The Beatles’ Story』はボックスのみ。

以下はプロモ映像



以下は日本のプレスリリースより「U.S. BOX特徴」
■ビートルズのアメリカ編集アルバムとは何か?

66年までのビートルズのレコード制作は、イギリスではブライアン・エプスタイン(マネージャー)とジョージ・マーティン(パーロフォン・レーベルのプロデューサー)による綿密な計画に沿って進められた。年間にシングル3枚とアルバム2枚をリリースし、原則的にシングル盤の曲はアルバムには収録しない。そこには、ファンが支払う額に見合った内容の作品を受け取れるようにという配慮があった。
だがアメリカでは「人気があるうちに、1枚でも多く売り切ってしまう」ことが最優先事項だった。キャピトル・レコードは、イギリスでのシングル3枚・アルバム2枚分の素材を組み替え、シングル5〜6枚とアルバム3枚を作り出した。しかもそのなかには、本国イギリスより早く発表される曲もたくさん含まれていた。アメリカはイギリスの数倍の市場規模を持つ世界最大の音楽マーケットだったので、キャピトルの発言権は絶大だったのである。

■ビートルズの成長によって、独自編集盤はなくなっていく

ビートルズは、デビュー当初はレコーディングで演奏しかしなかった。だが徐々にプロデュースやエンジニアリングの領域にも関わり始め、『ラバー・ソウル』を発表した65年12月頃には、自分たちの音楽をアートと捉えるようになっていた。だがその頃になっても、キャピトルは独自編集盤の制作を続けていた。ビートルズが66年6月発売のアメリカ編集盤『イエスタデイ・アンド・トゥデイ』のジャケットに「ブッチャー・カバー」と呼ばれるグロテスクな写真を使わせたのは、キャピトルへの無言の抗議だったとも言われた。
この流れに終止符を打ったのはビートルズ自身だった。彼らは67年に『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を発表し、1枚でひとつの作品というトータル・アルバムの概念を確立。多数のアーティストがこれに追随したことで、レコード制作はレコード会社主導からアーティスト主導の方向に変化し、勝手な独自編集盤の存在は許されなくなっていく。

■アメリカ編集アルバムに愛着を持つファンは多い

このように、アメリカ編集盤にはビートルズの意思が反映されていなかった。だが当時のアメリカのファンにとっては、アメリカ編集盤こそがオリジナル・アルバム。ジャケットも曲順も、イギリス盤よりはるかになじみ深いものだった。
87年のCD化では音源がイギリス・オリジナル盤に統一されたが、アメリカ国内では90年代初頭まで独自編集盤がアナログで生産され続けた。イギリス・オリジナル仕様CDとアメリカ編集アナログ盤が数年にわたって併売されたことで、アメリカのファンはイギリス盤、そしてCDにスムーズに移行することができたのである。
日本でも70年から80年代半ばにかけてアメリカ編集アルバムの大半が発売されていたため、いまなお愛着を持つファンは多い。当時、後追いでファンになった少年少女が全曲制覇をめざすにあたっては、イギリス・オリジナル盤で揃えるか、アメリカ編集盤で揃えるかという選択肢があった。

■CDボックス・セットで復活したアメリカ編集アルバム

CDの普及に伴い、アメリカ編集アルバムは、90年代前半から10年ほど世界的な廃盤状態が続いていた。だが2004年に『ミート・ザ・ビートルズ』『ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム』『サムシング・ニュー』『ビートルズ'65』の4作を収録した『ザ・ビートルズ '64 BOX』(原題『THE CAPITOL ALBUMS VOL. 1』)がCDで発売され、みごと復活を果たす。さらに06年には続編として『アーリー・ビートルズ』『ビートルズⅥ』『ヘルプ!オリジナル・モーション・ピクチャー・サウンドトラック』『ラバー・ソウル』を収めた『ザ・ビートルズ '65 BOX』(原題『THE CAPITOL ALBUMS VOL. 2』)も登場した。

■『キャピトル・アルバム』の枠を外して、レーベルの枠を超えたコレクションを実現

その後、世界中のファンが『'65 BOX』に続く第3弾のリリースを期待していたが、このシリーズは完結せずに終了。14年に『THE U.S. ALBUMS』として、新たに仕切り直して全作品が一挙に発売される運びとなった。タイトルから『キャピトル』の冠を外したことで、ユナイテッド・アーティスツ社が編集したアルバム『ア・ハード・デイズ・ナイト』も含むコレクションが実現している。
モノ/ステレオの2種類の盤があるアルバムは2イン1で収録された(『ビートルズ・ストーリー』を除く)のは『'64/'65 BOX』と同様だ。ただし『'64/'65 BOX』ではステレオ→モノの順で収録されたのに対し、『THE U.S. ALBUMS』はモノ→ステレオの順。「発表当時の標準仕様はモノ盤」というポリシーでまとめられていることがわかる。

■考えうる最高のチームがデジタル・リマスタリングを担当

『'64/'65 BOX』では、当代一の売れっ子エンジニア、テッド・ジェンセン(ニューヨークのスターリング・スタジオ所属)がデジタル・リマスターを担当。全体の均整が取れつつ、高・中・低いずれの音もくっきり再現されており、アナログ愛好家からデジタル世代まで納得させる出来映えだった。
対して『THE U.S. ALBUMS』では、09年にビートルズ全曲のデジタル・リマスターに関わったアビイ・ロード・スタジオのチーム(ポール・ヒックス、ショーン・マギー、ガイ・マッセイ、サム・オケル、スティーヴ・ルーク)に、超大物のグレッグ・カルビ(スターリング・スタジオのシニア・エンジニア)を加えた豪華な布陣となった。そのサウンドは、間違いなく『'64/'65 BOX』を超えるものになるだろう。

■ライナーノーツとパッケージも一新

ライナーノーツは、『'64/'65 BOX』ではビートルズのアナログ盤研究の権威、ブルース・スパイザーが担当していた。『THE U.S. ALBUMS』ではMTVのプロデューサー/音楽ジャーナリストのビル・フラナガンが起用される。
パッケージは、リンゴ・スターの『ワイ・ノット』などのデザインを担当したヴァータンがアート・ディレクター、また数々の名作アルバムのリイシュー・デザインを手がけたマイヤー・ムラカミとマイク・ディールがデザイナーとしてクレジットされている。
『'64/'65 BOX』では、アメリカで制作された各アルバムの紙ジャケットの出来が悪く、多くのファンを落胆させた(日本では『'65 BOX』用に、精密な紙ジャケットが制作された)。『THE U.S. ALBUMS』のアートワークで特に注目されるのは、発表当時に物議を醸した『イエスタデイ・アンド・トゥデイ』の「ブッチャー・カバー」がどう扱われるかだ。


以下はプレスリリース(日本語訳)

カリフォルニア州ハリウッド——2013年12月12日

1964年2月7日、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港に到着したビートルズは、はじめてアメリカの土を踏むジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの姿をひと目見ようと、ゲートに押しかけた大勢のファンの絶叫とため息に出迎えられた。その2夜後、2月9日の日曜日には、アメリカで7400万人、カナダでも数百万人の視聴者がチャンネルをCBSに合わせ、「エド・サリヴァン・ショウ」でアメリカのTVデビューを飾るビートルズを観た。今も史上もっとも多くの人々に視聴されたTVイヴェントのひとつに数えられているこの生放送番組で、ビートルズは5曲を披露し、それを機に本国のイギリスではすでに熱狂的なピークを迎えていた「ビートルマニア」が、アメリカ全土、さらには全世界で一気に爆発した。ブリティッシュ・インヴェイジョンがはじまったのだ。
 こうした歴史的イヴェントの50周年を記念して、1964年の《ミート・ザ・ビートルズ》から1970年の《ヘイ・ジュード》まで、全13作のCDを収めたビートルズの新たなコレクション、《The U.S. BOX》(オリジナル・タイトルThe U.S. Albums)が1月20日にリリースされる(北米では1月21日/日本盤発売  1月22日予定)。
ビートルズのアメリカ盤LPは、曲目、ミックス、タイトル、アートワークなど、さまざまな面でイギリス盤とは異なっていた。ステレオ・オンリーの《ザ・ビートルズ・ストーリー》と《ヘイ・ジュード》をのぞくと、アルバムはすべてモノとステレオで提供される。インナー・スリーヴもふくめ、オリジナル盤のジャケット・デザインを忠実に再現した全13作のCDボックス・セットには、ビートルズの写真や当時のプロモーション・アートに加え、アメリカの作家にしてTV局重役のビル・フラナガンによる書き下ろしのエッセイを収めた64ページのブックレットがついてくる。個々のアルバムはすべて(オーディオ・ドキュメンタリー・アルバムの《ザ・ビートルズ・ストーリー》をのぞき)、期間限定で単独でも購入が可能だ(分売は輸入盤のみ)。《ハード・デイズ・ナイト(オリジナル・サウンドトラック)》、《ザ・ビートルズ・ストーリー》、《イエスタデイ・アンド・トゥデイ》、《ヘイ・ジュード》、そしてアメリカ版の《リボルバー》は、今回が初のCD化となる。
 ビートルズがまだアメリカ上陸を果たしていなかった1963年末の時点で、「ビートルマニア」はすでに大西洋をわたり、アメリカにも根を張っていた。12月の初頭には「ニューヨーク・タイムズ」紙が日曜版で特集記事を組み、「CBSイヴニング・ニュース」がリヴァプールから登場した若手バンドをめぐる前代未聞の熱狂について、深く掘り下げたレポートをオンエアしていた。アメリカ中のラジオ局が、リスナーの尽きせぬ欲求を満たすために、イギリスにおけるビートルズの最新シングルをほぼノンストップのローテーションでかけはじめた。キャピトル・レコードはスケジュールを3週間前倒しにして、〈抱きしめたい〉のアメリカ盤シングル(B面は〈ディス・ボーイ〉)を、イギリスでのリリースから1か月後にあたる12月26日に臨時発売する。アメリカ盤シングルの売り上げは、10日とたたずに100万枚を超えた。
 1964年1月3日、キャピトルは〈プリーズ・プリーズ・ミー〉(B面は〈フロム・ミー・トゥ・ユー〉)をリリースし、1月20日にはキャピトルからのファースト・アルバム《ミート・ザ・ビートルズ!》がそのあとにつづいた。イギリスで5週連続首位を記録した〈抱きしめたい〉は、2月1日に全米シングル・チャートの首位に立つと、7週連続でその座を守り、《ミート・ザ・ビートルズ!》の売り上げは、2か月とたたずに350万枚を超えた。
 2月7日、ビートルズがニューヨークに到着した際の興奮は——彼らは空港で、およそ3000人の恍惚としたファンに出迎えられた——世界的な報道機関によってドキュメントされ、ニュース速報や写真が電撃のごとく、世界中に送信された。ビートルズの動き、そして彼らの発した言葉は、ひとつ残らずニュースになり——チャーミングでウィットに富む、スタイリッシュなイギリスの青年たちと、彼らのしびれるような新曲を求めてやまない少女たちのハートを溶かした。当時のアメリカを代表する大スター、エルヴィス・プレスリーは、全国放送のTVデビューを飾る彼らに成功祈願の電報を送った。
 エド・サリヴァンはビートルズの忘れがたい初紹介のなかで、前代未聞の熱狂に触れ、「さて、昨日から今日にかけて、われわれの劇場は、全国からやってきた新聞記者や何百人ものカメラマンでごった返していますが、ヴェテランぞろいの彼らも、『ビートルズ』と称するリヴァプール出身の若者たちが巻き起こす興奮は、この街がかつて目撃したことのないものだ、というわたしの意見に同意しています」と言った。
 初出演の「エド・サリヴァン・ショウ」で北米を虜にしたビートルズは、その後ワシントンDCに移動し、2月11日には周囲を取り囲む8000人のファンを相手に、ワシントン・コロシアムで初のアメリカ公演。翌日にはニューヨークにもどり、満員札止めのカーネギー・ホールで2回公演をおこなった。2月16日にはフロリダ州マイアミビーチのデューヴィル・ホテルからの生中継で、「エド・サリヴァン・ショウ」に2度目の出演。この回の視聴率も、1週間前の初出演時に負けず劣らず強力で、およそ7000万人の視聴者——アメリカの人口の40パーセント——がチャンネルを合わせ、6曲を演奏する彼らの姿を観た。2月22日、イギリスに凱旋したビートルズは午前7時にロンドンのヒースロー空港に到着し、およそ1万人のファンの歓迎を受けた。
 ビートルズは今や、世界一人気のある、世界一有名なバンドとしての地位をしっかり確保していた。彼らが3度目に「エド・サリヴァン・ショウ」に出演したのは2月23日のことで、その際に披露された3曲は、バンドの生放送デビューに先だって録画されたものだった。1964年4月5日づけの「ビルボード」ホット100シングル・チャートにはビートルズの曲が12曲ランクされ、それどころかトップ5を独占していた。空前絶後の快挙である。「ビートルマニア」が世界を席巻するなか、バンドは急速に比類のない名声を獲得し、無限の可能性を持つ、驚異的な存在となっていた。ビートルズは今や大衆のものとなり、普遍的に愛される音楽と、世界中のあらゆる人々に対する愛と平和を提唱する、揺るぎのない人類愛によって、その後もずっとそうありつづけている。
 レコーディング・アカデミー、AEGエーリック・ヴェンチャーズ、およびCBSは、ビートルズが「エド・サリヴァン・ショウ」で画期的なデビューを飾った日付と時間からちょうど50年後にあたる2月9日、日曜日の午後8時に、2時間のプライムタイム・エンターテインメント特番 "The Night That Changed America: A GRAMMY® Salute To The Beatles" をオンエアすると発表した。この特番では音楽界を代表する大スターたちが、HDTVおよび5.1サラウンド・サウンドでビートルズ・ナンバーを披露する予定だ。

●『The U.S. Albums』

※初回生産限定盤
※豪華BOX仕様
※USオリジナル・アルバムCD13枚組 
※モノ・ステレオ収録
(「ザ・ビートルズ・ストーリー」「ヘイジュード」はステレオのみ) 
※US制作紙ジャケット
※64ページ英文ブックレット
※英文ブックレット対訳/日本語解説/歌詞・対訳
※初CD化5枚(ハード・デイズ・ナイト/ザ・ビートルズ・ストーリー/イエスタデイ・アンド・トゥデイ/ヘイ・ジュード/US盤リボルバー)

** 初CD化
ミート・ザ・ビートルズ
Meet The Beatles!  
[Capitol Records: released January 10, 1964; 11 weeks at No. 1]
ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム
The Beatles' Second Album
[Capitol Records: released April 10, 1964; five weeks at No. 1]
ハード・デイズ・ナイト(オリジナル・モーション・ピクチャー・サウンドトラック)
A Hard Day's Night (Original Motion Picture Soundtrack) **
[United Artists: released June 26, 1964; 14 weeks at No. 1]
サムシング・ニュー
Something New
[Capitol Records: released July 20, 1964; nine weeks at No. 2]
ビートルズ・ストーリー
The Beatles' Story [stereo only] **
[Capitol Records: released November 23, 1964; peaked at No. 7]
ビートルズ '65
Beatles '65
[Capitol Records: released December 15, 1964; nine weeks at No. 1]
アーリー・ビートルズ
The Early Beatles
[Capitol Records: released March 22, 1965; peaked at No. 43]
ビートルズVI
Beatles VI
[Capitol Records: released June 14, 1965; six weeks at No. 1]
ヘルプ!(オリジナル・モーション・ピクチャー・サウンドトラック)
Help! (Original Motion Picture Soundtrack)
[Capitol Records: released August 13, 1965; nine weeks at No. 1]
ラバー・ソウル
Rubber Soul
[released December 6, 1965; six weeks at No. 1]
イエスタデイ・アンド・トゥデイ
Yesterday And Today **
[Capitol Records: released June 20, 1966; five weeks at No. 1]
リボルバー
Revolver **
[Capitol Records: released August 8, 1966; six weeks at No. 1]
ヘイ・ジュード
Hey Jude [stereo only] **
[Apple Records: released February 26, 1970; four weeks at No. 2]