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「ウォール・オブ・サウンド」の生みの親 音楽プロデューサーのフィル・スペクターが死去

2021/01/18 01:28掲載(Last Update:2021/01/18 01:57)
Phil Spector
Phil Spector
「ウォール・オブ・サウンド」の生みの親、音の魔術師、音楽プロデューサーのフィル・スペクター(Phil Spector)が死去。彼の訃報は、カリフォルニア州矯正リハビリテーション局によって確認されています。81歳でした。

カリフォルニア州矯正リハビリテーション局は「カリフォルニア州の医療施設に収容されているフィリップ・スペクターは、2021年1月16日土曜日の午後6時35分に、外部の病院で自然死を宣告された。彼の正式な死因は、サンホアキン郡保安官事務所の検死官によって決定される」と報告しています。

一方、サイトTMZは、刑務所の独房から病院に移された後に新型コロナウイルス関連の合併症で亡くなったと報じています。彼は4週間前に診断され、病院に搬送。その後、刑務所に戻るのに十分なほど回復したと診断され、刑務所に戻されましたが、TMZは情報筋の話として、彼は再発して呼吸困難に陥り、病院に急送されましたが土曜日に亡くなったと報じています。

フィル・スペクターは、1939年12月ニューヨーク市ブロンクス生まれ。本名はハーヴェイ・フィリップ・スペクター。父の死後、ロサンゼルスに移住。10代より音楽活動を始め、テディ・ベアーズを結成。「To know him is to love(邦題:逢った途端にひとめぼれ)」を全米1位に送り出したのち、音楽プロデューサーとして活動を開始する。

1961年にレスター・シルと共にフィレス・レコード設立。ザ・ロネッツ「Be My Baby」ほかヒットを連発。「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれる独自の録音技法を確立し、ポピュラー音楽に多大な影響を与えた。

早い時期からビートルズとは親交があった。1970年発表のアルバム『Let It Be』のプロデュースを手がけた。70年代以降もジョン・レノンやラモーンズなどのプロデュースで知られたが、70年代以降は麻薬や奇行などが多くなり、1980年にラモーンズのアルバム『End of the Century』をプロデュースして以降は第一線から退いた。

スペクターは2003年、自宅で女優のラナ・クラークソンを射殺。2009年に殺人罪で懲役19年の判決を受けて収監されていた。