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『バード チャーリー・パーカーの人生と音楽』刊行記念 村井康司×大友良英×池上信次 鼎談 レポート到着

2021/01/12 19:01掲載
バード チャーリー・パーカーの人生と音楽
バード チャーリー・パーカーの人生と音楽
チャーリー・パーカーの生誕100周年を記念した最新評伝の邦訳『バード チャーリー・パーカーの人生と音楽』の刊行を記念して、編集者の池上信次をホスト役に、音楽家の大友良英と音楽評論家・編集者の村井康司を迎えたトークイベントが2020年12月17日に下北沢 本屋B&Bにて開催されています。当日のレポートが到着しています。

以下シンコーミュージックより


写真左より村井康司さん、大友良英さん、池上信次さん

故チャーリー・パーカーの生誕100周年を記念した最新評伝の邦訳『バード チャーリー・パーカーの人生と音楽』刊行を記念して、編集者の池上信次さんをホスト役に、音楽家の大友良英さんと音楽評論家・編集者の村井康司さんを迎えたトークイベントが、2020年12月17日(木)下北沢 本屋B&Bにて開催された。当日は蓄音機でパーカーや当時のミュージシャンのSPを聴きながら〈当時のパーカーを追体験する〉スペシャルなイベントとなった。この蓄音機は池上さんが持参されたもので、かけているのは池上さんのSPレコード・コレクションから。蓄音機のモデル名は「HMV 102」、イギリス製でおそらく1940年代に製造されたものとのことです。

チャーリー・パーカーはビバップを発明した人

池上信次(以下池上):本日は『バード チャーリー・パーカーの人生と音楽』をテーマにチャーリー・パーカーの魅力を語り合いたいと思います。このチャーリー・パーカーの評伝の著者、チャック・ヘディックスはパーカーと同郷のカンザス州出身で、世界有数の凄いジャズのライブラリーがあるミズーリ大学カンザスシティ校のキュレイターでもあるんです。同郷ですから地元の古い記録を調べたり、パーカーの友人、同級生に直接取材をすることで謎の多かったカンザス時代のパーカーの歴史をかなり明らかにしています。では、まず最初にお二人にチャーリー・パーカーとの出会いを伺おうと思います。
大友良英(以下大友):高校一年か二年の頃ロックをやりたくて、ギター・アンプを触れるな……とジャズ研に入ったのがきっかけ。ジャズなんか興味はなかったんですけど先輩の家でチャーリー・パーカーを聞かされたんです。本当に申し訳ないんですけど最初の印象は最悪で、拷問でした(笑)。ギターがあまり出てこなかったので。その時色々聞かされた中で僕が反応したのはエリック・ドルフィー。ドルフィーはすでにパーカーの進化系で、僕はいきなりフリー(ジャズ)の方向に向いちゃったんです。後々パーカーの凄さがわかってきて、むしろ今、ですかね。
村井康司(以下村井):僕は、高校の頃からジャズ喫茶には行ってたんですけど、なぜかチャーリー・パーカーを聴いた記憶があまりないんです。パーカーって同じ曲のテイク違いがたくさんあって、途中で終わってしまうものもあるから、あまりジャズ喫茶でかからなかったのかも。大学の頃、油井正一さんがFM東京(現TOKYO FM)でやってらした「アスペクト・イン・ジャズ」でチャーリー・パーカー特集があって、油井さんが解説していい演奏しかかからないから、それをエアチェックして何度も何度も聴いてました。当時はジャズ研にいたのでパーカーの「ビリーズ・バウンス」のソロのワン・コーラス目だったらコピーできるかなとやってみたり。
大友:俺もやりました(笑)。
村井:ビバップ的なフレーズはこうやるんだ──と、それ以来パーカーってカッコいいなと思ったんですけど、ジャズ喫茶ではかからない。今はどうなんだろう。四谷のいーぐるでも、オーナーの後藤さんは〈パーカーが一番好きだ〉って言ってるわりにかからない(笑)。
大友:ジャズ喫茶ってオーディオが自慢の店が多いから、パーカーの録音って今の基準で言うとハイファイではないし、それもあるんだと思いますよ。
村井:今日はSPで最高のパーカーの音を聴いていただこうと思うんですけど、LPになったサヴォイの録音とかは音がよくなかったからかもしれないね。
池上:ま、古い時代のものは音はあまりよくないというのは当然で。でも、チャーリー・パーカーはカッコいいものという認識で。
村井:カッコいいというか、ビバップ自体が、ロックの方からみればあの音はどうやっているのかは謎だったんです。
池上:今、ビバップの話になりましたけど、チャーリー・パーカーはビバップを発明した人──と言っていいんですか?
大友:たぶん、それでいいと思います。
池上:それが、その後世界的に大きな流れになっていくんですが。
大友:聴いてみる? ビバップとビバップじゃないものを。
村井:チャーリー・パーカーを聴くと、音としての違いがわかりますね。
大友:論より証拠で、この手巻きのSP蓄音機、凄くいい音がするんです。
村井:じゃ最初に、ビバップ以前で、カウント・ベイシー・オーケストラの「オー・レディ・ビー・グッド」を。
大友:カウント・ベイシーを蓄音機で聴くのも初めてかも。
村井:ドキドキしますよね。

M1「オー・レディ・ビー・グッド」カウント・ベイシー・オーケストラ

大友:思わず拍手したくなる、いい音ですね。
池上:1939年の録音でした。
村井:ビバップ以前のスウィング・ジャズ。じゃあ次は、さっきも話に出ましたパーカーの「ビリーズ・バウンス」を、これは1945年の録音。
大友:SPは一回聴く毎に針を替えないとレコードがダメになっちゃうんです。
池上:で、一回毎にゼンマイを巻かなければいけないので、ちょっとお待ちください。
村井:片面3分の演奏を聴くのに、準備に3分かかる。
大友:当時は生演奏以外はこうして聴いていた人がずいぶんいたってことですよね。SPで聴くかラジオで聴くか、あと、電気式のもあったけど。
池上:電気式のプレーヤーも出ていました。お待たせしました、ではチャーリー・パーカーの「ビリーズ・バウンス」を。

M2「ビリーズ・バウンス」チャーリー・パーカー

池上:「ビリーズ・バウンス」チャーリー・パーカーでした。
大友:違いがわかるかな、どっちも古いジャズって言われそう。
村井:ま、1939年と1945年の差なので、2016年と2020年がどう違うかってことですけど、まぁカウント・ベイシーもサックスのアドリブ・ソロがあるけど人が鼻歌を歌う時に自然に出てくるようなメロディで、チャーリー・パーカーは人が歌うときには出てこない複雑なフレーズがたくさん出てくるのが違いかな。
池上:理論的に組み立てられたフレーズ。

チャーリー・パーカーはバッハとモーツァルトが一緒になったような人

村井:今日たまたま大友さんが私と同じ本を持っていて、濱瀬元彦さんの「チャーリー・パーカーの技法──インプロヴィゼーションの構造分析」。
大友:チャーリー・パーカーを理屈で理解するにはこの本を読めばいいなと。でもめっちゃ難しい本。音楽をやってなかったり音楽理論を知らない人が読むとチンプンカンプンな本で、かなり丁寧に読まないと理解できないし、理解したからといってできるもんじゃないんですけど、和声的な意味でチャーリー・パーカーを分析しています。チャーリー・パーカーの何が新しかったのかを理屈ではわかるんだけど、なぜチャーリー・パーカーが突然あそこに行ったのかはわからないし、凄いことなんですよね。本人はどこまで理屈で考えたかはわからないけど、当時のいろんな人のインタビューを読むと理論でちゃんと言えたみたいですから、あの破天荒で無茶苦茶な人が。
村井:音楽の歴史って、時々絶妙なタイミングで絶妙な人が出てくることがたまにあるんです。チャーリー・パーカーという人はバッハとモーツァルトが一緒になったような人で、音楽は非常に精緻に組み立てられているんだけどそれ自体は堅苦しくない、生き方も奔放というか破天荒で。だから頭の中で非常に緻密に考えてきた部分と、理屈じゃなくて感覚的な部分が矛盾せずにいきなり出てきた……のが凄い。
池上:出てきた──ということをいえば、チャーリー・パーカーはカンザス・シティで生まれ、十代でそこそこ知られるサックス奏者になるんですけど、そこには禁酒法時代にも関わらずお酒と音楽があり、ジャズが盛り上がっていた。そこで出てきたことが関係あると。
大友:カンザス・シティがどういう街かっていう背景もこの本には丁寧に書かれていて、同じ都市の中で州が二つに分かれていて、片や禁酒法、もう一方は荒くれたお酒の街……という描き方も絶妙で、なるほどね──と思いながら読んでました。
池上:音楽だけを考えると突然凄い人が現れた──っていう感じなんですけど、背景を見てみるとそういう人が出てきてもおかしくない。
村井:カンザス・シティに行けば禁酒法下でもお酒が飲める……というのでお客さんが増える。当然需要が多いから全米から腕に覚えのあるミュージシャンが集まってきて切磋琢磨している。小さい頃からその状況を見て育っていたから。
池上:十代で新しい形のものを見つけて、その後ニューヨークに行くわけですけども、最初からそのスタイルは出来上がっていたんですよね。
大友:一番最初のソロとバンドの音源があるんですけど、もう出来上がってますよね。この「バード」を読むと、カウント・ベイシーのバンドとのセッションで吹くんですけど、あまりにヘボ過ぎてジョー・ジョーンズにシンバルを投げつけられる。でもその直後くらいからどんどん凄くなっていく。カウント・ベイシーよりチャーリー・パーカーの方が優れている……みたいに聞こえるとまずいんですけど、ベイシーはベイシーで本当に凄くて、ある音楽の完成形だと思うんです。それに対して全然違うものをパーカーは出していった。理論的に技術的に──ということもあるんですけど、なによりも〈概念〉だと僕は思っています。アドリブだけで音楽は成立する──ということを打ち出したほぼ最初の人なんです。それまでは、アドリブは重要だけど、曲はテーマがあって、踊らせて──だったのに、チャーリー・パーカーは〈コードという基本があったら、その中で自由にアドリブをやれば面白いことが起こる──〉ということを最初に言い出した凄くヘンな人。
村井:チャーリー・パーカーは曲のタイトルも意味がないじゃないですか。
大友:それで何かを表現しよう──というのではなくて。
村井:ある意味抽象的な純粋音楽。嬉しいとか悲しいとかではない。

チャーリー・パーカーが出た後にはみんなビバップになっちゃった

大友:先日アルバート・アイラーの本を出す関係でインタビューを受けたんですけど、アイラーってジャズの中ではフリーク的な扱いを受けているけど、アイラーの方が音楽史的には普通だと思うんです。チャーリー・パーカーこそ巨大な人類史の中では相当フリーク的というか、単にジャズの中だけじゃなくものすごいヘンなことを突然やりだした人だと、僕は思ってるんですけど。
池上:パーカーが出た後にはみんなビバップになっちゃった。
大友:カッコよく聞こえたんだよね、多分。
池上:わかりやすいのは、カッコいいアルト・サックスの人がいたらそれを真似するアルト・サックスの人はいるんですけど、ピアニストもテナー・サックスもトランペットもみんなビバップになる。そういうのはジャズの中で、その後も前もないんじゃないですか。
大友:チャーリー・パーカーの盟友であるディジー・ガレスピーもパーカーと出会うまでの録音は全然ビバップじゃないのに、出会ってすぐにパーカーのコンセプトを我が物にしてそれ以上にしたと思うんです、そしてみんな凄い勢いでビバップになっていく。“これはどうやってやってるんだろう?”って勉強会とか開いてたみたいですよね。で、凄く残念なことに、その発展途上の時期にアメリカの録音関係の人たちがストをしていたせいで、その時期の録音が残ってないんです。ビバップってセッションのときにヘボい奴がくるとそいつを追い出すために凄く難しいコードにしたり早く演奏したりしたのは事実なんだろうけど、そのおかげでオリンピック級のアスリートみたいな人ばっかりが出てきちゃった。これは菊地成孔が言った名言だと思うけど、〈チャーリー・パーカーは山のように挫折者を作った〉って。その挫折者の中で最も凄いのはオーネット・コールマン。初期はパーカーをやろうとして、結局全然違うものを出してきた。
村井:ビバップって深夜に小さい場所でみんなで演って、例えば『ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン』(41年)とかは今聴くとチャーリー・クリスチャンは完全なビバップじゃなくて、片足を突っ込んでいるくらい。でもチャーリー・パーカーは42〜43年頃の録音を聴くとバリバリのビバップで、そのチャーリー・パーカーとチャーリー・クリスチャンの間に凄く大きな溝があるように思えるんです。だからこの人が突然変異的にいきなり始めてしまったものが、それから数年経つとチャーリー・パーカーみたいになりたいという後続の人がたくさん出てくる。でも一方でパーカーみたいになりたいからといってドラッグやってダメになっていく人もたくさんいて。
大友:パーカーは異常に体力のある人でドラッグなんか物ともせずにやってたんだと思うんです。普通の人があんなにやったら死んじゃいますよね。
池上:この本でドラッグに関しては新しい発見があって、交通事故に遭ったパーカーがその治療で使われたヘロインで味をしめた──のがきっかけだったそうなんです。ま、それはさておき、後続の人が挫折するような──という演奏はどういうものだったかを。
大友:聴きましょう、聴きましょう。
池上:チャーリー・パーカーの「ココ」。
村井:これはスタンダードの「チェロキー」のコード進行を使って、「チェロキー」のテーマは吹かないでいきなりアドリブに入ります。
大友:ドキドキしますね。

M3「ココ」チャーリー・パーカー

大友:凄いですね、当時音楽をやっていた若い人たちは憧れると思いますよ。
池上:今でいうと、ロック・ギタリストの早弾きみたいな感じで。
大友:ロック・ミュージシャンの早弾きってこれ見よがしなエンターテイメント感があるんだけど、チャーリー・パーカーは残された数少ない映像を見ても淡々と吹いているんですよ、そこもクールでカッコよかったのかな。
村井:当時クラブで目の当たりにしたら、これをやりたい!って思うよね、きっと。
大友:その前のカウント・ベイシーはダンス・ミュージックで、大人たちはそれを聴きながら踊ってるわけですよ、そこにこういう〈ダンスなんかさせない〉って勢いで吹いたら、今でいえばノイズとかと近い、そういう衝撃だったんじゃないかと勝手に思ってます。このSP盤って片面一曲じゃないですか、それも3〜4分で。そこであまりテーマらしいテーマも出てこなくて、ただずっとアドリブをやってるのは前衛というか、当時としてはかなり行き切ってると。だからその後出てくるフリー・ジャズとかは明らかにパーカーが扉を開いたからで、そこからフリー・ジャズとかヨーロッパのインプロヴィゼイション・ミュージックが出てきた──と僕は思ってます。フリー・ジャズとパーカーは技術的に、理屈的に全然違うんですけど、パーカーがそれまでの音楽に対して出してきたインパクトを受け継いでいる感じはします。僕、フリー・ジャズの味方ですから(笑)。
村井:今、話にあがった中では、エリック・ドルフィーは完全にチャーリー・パーカーですよね。
大友:エリック・ドルフィーは恐ろしいくらいチャーリー・パーカー・メソッドをさらに進めて、まったく適当には吹いてないんですよ。今日はかけないですけど、あれこそビバップの行き着く先、極みだと思う。それと、オーネット・コールマンみたいに謎の進化を遂げちゃった人たちが一緒に60年代はずらずらといるわけで。その歴史の最初を切り開いたのがチャーリー・パーカー。前衛とか黒人解放とか一切言わずに、ニヤニヤとドラッグをやっていっぱい食べながら吹きまくっただけなのに、そういうシンボリックな存在になっていって。そのあり方もカッコいい。
池上:そういう色んな魅力がある人だからこそ、ああいう音楽を残してこういった評伝もできて。
大友:でもこの本を読むと、魅力もあるけど近くにいたら凄ぇイヤじゃないですか(笑)。人の家に来てずーっと居着いて、靴のまま寝て、人の楽器を勝手に質に入れて、本当にひどいよね(笑)。
池上:若い人には、“お前は絶対ドラッグをやるな”って言って。
村井:パーカーは〈俺のやることをやるな、俺の言うことをやれ〉って言ってます。自分でよく知ってるから、〈生活態度は絶対真似するな〉と。
大友:超説得力のない(笑)。マイルスが一時期パーカーと一緒に暮らしていて、マイルスはチャーリー・パーカーが大好きで、小僧っ子のようにくっついて、チャーリー・パーカー・メソッドを彼なりの形でやったけど、ガレスピーみたいには吹けなかったことで、あのマイルスの音が生まれたような気がして。で、繋げるみたいですけどちょうどマイルスの「ドナ・リー」があるので。
池上:聴いてみましょう。準備の間に曲の説明をお願いします。
村井:じゃ、次にマイルス・デイヴィスの「ドナ・リー」を。作曲はマイルス・デイヴィスですけど、曲の感じは完全にチャーリー・パーカーのアドリブをそのままテーマにしたような。
大友:マイルスは、チャーリー・パーカー・コンセプトで、このコード進行でやるとこうなる──というのをテーマにしたような気がします。
村井:凄いカッコいいテーマなので、その後カッコいいアドリブを吹くのは大変だったと思います。
池上:後にジャコ・パストリアスも弾いてますね。
村井:ビバップのアイコンみたいなもの。

M4「ドナ・リー」マイルス・デイヴィス 


ビバップの誕生には録音技術の進化が関わっている…

大友:これぞビバップという感じの演奏ですよね。当時みんなこういうSPの蓄音機で聴いてたんですよね。
池上:電気式のプレーヤーはありましたけど、まだまだこういった蓄音機が多かったですね。
大友:これは勝手に言ってる僕の仮説なんですけど、チャーリー・パーカーが生まれたのが1920年。ちょうどジャズが生まれて、こういったSP蓄音機が出始めた頃なので、録音でジャズを聴く最初のネイティヴがチャーリー・パーカーたちの世代なんじゃないかと思ってるんです。子供の頃から繰り返して聴くことができたからこんな風に発展した──と。音楽ってそんなに簡単には進化していかないと思うんですよ。西欧の音楽がどんどんスタイルが変わっていったのは、譜面に残せて譜面を分析できたからだと思うんです。おそらくジャズの場合は録音が残ったおかげでアドリブが分析できた。チャーリー・パーカーには実際、回転数を落とした蓄音機でアドリブをコピーしたという話もあるので。
村井:アメリカでラジオ局ができたのが同じく1920年で、それまでは演奏を聴きに行く音楽だった。
大友:もちろん曲をやってるわけだから、同じ曲は再現できるじゃないですか。でも目の前でやられている音楽では、アドリブは二度と同じものは出てこない。でもコールマン・ホーキンスやレスター・ヤングとかのアドリブが繰り返し聴けるとなったら、多分人はそれを分析しだすから。おそらくビバップの誕生には録音技術の進化が関わってると僕は思うんです。チャーリー・パーカーは数学的な天才とも言われてるから繰り返し聴いて、コード、ハーモニーを数学的に分析して、一つのハーモニーからいくつものハーモニーを導き出して繋げていくという理屈が成り立ったんじゃないかな。
村井:濱瀬元彦さんの本でも、パーカーはコールマン・ホーキンスやチュー・ベリー、レスター・ヤングとかのアドリブの中で自分がすごく好きな場所を徹底的にコピーして、そのフレーズを自分のアドリブの中に入れた──とあるんです。つまり前の世代の人が偶然かどうかビバップ的な音使いをしたところを何度も聴いて、吹けるようにしている、と。
池上:それに加えて、ディスク・レコーダーが開発されて、録音を自分でできる最初の世代でもあるんです。パーカーが40年に録音した盤が残ってますから。
大友:直接レコード盤に録音するんですよね。
村井:そんな時代にそんなことができたんだ……って逆にびっくりしますけど。
大友:近代テクノロジーを使って、アドリブを聴いて分析して録音して。これが最初かどうかわからないけど、ここまで大胆に取り入れて自分のものにした最初の人がチャーリー・パーカーなんじゃないか──。
池上:それは新しい発見ですね。
大友:おおっ、俺、根気があればこれで一冊本を出せるんだけど(笑)。証拠を掴むのは難しいでしょうね、ただ想像と時代背景から考えると、そうであろうと。
池上:チャーリー・パーカーがビバップを作った、というのがジャズ史の中では一番大きなわかりやすい功績だと思うんですね。ビバップというのが感じられれば、チャーリー・パーカーがどれだけ凄かったのかがわかると思うんです。パーカー以降はみんなビバップになっちゃって今に至ってる。
大友:今、ジャズって言われるものはほぼチャーリー・パーカー・メソッドみたいな──全部じゃないですけどね。
池上:では少し休憩をして、第二部は〈今に至る──〉辺りのお話を。


故チャーリー・パーカーの生誕100周年を記念した最新評伝の邦訳『バード チャーリー・パーカーの人生と音楽』刊行を記念して、編集者の池上信次さんをホスト役に、音楽家の大友良英さんと音楽評論家・編集者の村井康司さんを迎えたトークイベント(第二部)

チャーリー・パーカーの伝記映画「バード」

池上信次(以下池上):では第二部を始めますが、このイベントはネット配信されてまして、視聴者の方から質問がきています。
Q:クリント・イーストウッド監督作品のチャーリー・パーカー伝記映画「バード」はどうご覧になりましたか?
村井康司(以下村井):僕もリアルタイムで観ましたし、DVDも時々用があると観るんですけど、ぱっと見、彼の悲劇的な面が描かれてるんですね。でも残されたパーカーの映像とか見るとけっこうニヤニヤしていて、そういう部分があまりないのがちょっとつまらなかった。真面目なバードを描いた映画としてはよく分かるんですけど、もうちょっと適当でへらへらしたバードも見たかった。
大友良英(以下大友):入門編としてはいいと思います。
池上:シンバルを投げられる屈辱的なシーンがスローモーションで描かれているとか、細かいエピソードとかは生かされていて。
大友:わりと史実に忠実ではあるんですよね。
村井:クリント・イーストウッドは凄いジャズ・ファンだから、チャーリー・パーカーのことはもの凄くリスペクトしていて、音楽もパーカーのサックスは本物の音を使って、バックは現代のミュージシャンが演奏してます。
池上:質問をもう一ついただいてます。
Q:「ココ」は曲の展開やドラム・ソロなど、のちのプログレッシヴ・ロックのミュージシャンも影響を受けたかもしれなと思いました。「ココ」が好きになった私に、他のチャーリー・パーカーの曲や、ジャズ・ミュージシャンを教えてください。
村井:「ココ」は速い曲ですけど、チャーリー・パーカーのバラードにもまた全然違う魅力があってどっちも素晴らしいので、バラードもいかがでしょうか。後ほど「ジャスト・フレンズ」という曲をおかけします。他のジャズ・ミュージシャンは、先ほど大友さんも仰っていたエリック・ドルフィーを是非。
大友:ドルフィーも凄いプログレッシヴですからハマると思います。

「チャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングス」

池上:その話つながりになりますが。今日の前半はビバップを作ったチャーリー・パーカーの話でしたが、実はパーカーはビバップだけじゃなく、1945年頃にはニューヨークに出て注目を集め、音楽の幅を広げることになります。この本「バード」によると、当時の評論家が、〈ビバップは形が決まっているからそのうちに行き詰まるんじゃないか〉と言うのを聞いて、幅を広げようと思った──とあるんですけど、ビバップというのは分析してまとめられるくらい出来上がってしまっていたんですか?
大友:パーカーも本の中で限界については言ってました。
村井:パターンはそんなになくて、ブルースをやって、リズム・チェンジ(ジョージ・ガーシュウィンの「アイ・ガット・リズム」のコード進行)で別のテーマをやって、後はスタンダードに別のメロディを乗せてやるか、その3パターンくらいしかない。たしかに、ずーっとそれだけを聴いてると飽きてくることがないとは言えない。だから他の楽器と違うジャンルとやる──というのがチャーリー・パーカーの40年代終わり頃ですね。
池上:1949年に「チャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングス」があって、その後ラテン物とかへ広がって行くのですが、そういった後期は割とないがしろにされがちなのでもっと注目されてもいいと思うんです。パーカーの活動期は40年くらいから55年に亡くなるまでのわずか10数年ですから。
大友:結構いいんです、その時期のパーカーも僕は大好きなんですけど、「ウィズ・ストリングス」とか聴きたいな、それSP盤があるんですよね。
池上:あります。53年くらいまではSP盤でリリースされています。
村井:さっきの「ジャスト・フレンズ」にしましょう。
大友:村井さんは、初めて蓄音機でパーカーを聴かれたのはいつですか?
村井:池上さんが神保町にあるアディロンダックカフェでチャーリー・パーカーのSPをかけていた時に聴きました。その時は電気の再生装置だったかな。
大友:今回は生音。生でこんな大きな音というのはびっくりですね。
村井:だから音量調整はできない、この大きさでしかかからない。
池上:針を細いものにすると小さくなる、それくらいです。

M5「ジャスト・フレンズ」チャーリー・パーカー

大友:これはだいぶ聴かれたレコードですよね。
池上:溝が相当減ってます(笑)。
村井:この盤のストリングスの音はちょっと(笑)。
大友:ビバップじゃないものを──と言いましたけど、基本的なアドリブの音のあり方はビバップで。「ジャスト・フレンズ」ももともとあるコード進行があって、基本になるコードから違うコードに行ってまたもとに戻ってくるという、コード進行のダイナミズムの中で、それを複雑化して独特のビバップ・フレーズを演奏している──という意味に於いては、チャーリー・パーカーは生涯同じことをやってた。ただ初期のようにアドリブを吹きまくるのではなく、この頃は曲のテーマとか背景の音色とかを考えてやりたがってた。
池上:この時のプロデューサーがノーマン・グランツで、発売が大手のレーベルだったから潤沢な制作予算があってこういうことができた──というのもあります。
村井:この「チャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングス」は凄く売れて、当時ニューヨークの街でも流れていたそうです。
池上:この本にも、チャーリー・パーカーはオーケストラとの全米ツアーもあって、メジャーなスターだったと書いてあります。
村井:パリ公演もするんですが、当時アフリカン=アメリカンが戦争以外でヨーロッパに行くというのは、オリンピック選手のアメリカ代表……みたいな形以外ほとんどなかった。だからチャーリー・パーカーたちがヨーロッパ・ツアーに行けるというのは本当に凄い大スターだったということですね。パーカーはフランスに行くのを凄く楽しみにしていて、直前のレコーディングで自分の曲に「ヴィザ」とか「パスポート」とかタイトルをつけてるんです、もう小学生みたいに(笑)。
池上:じゃあ「ヴィザ」聴きましょうか?
大友:あるんですか? 言うとなんでも出てきますね(笑)。
村井:チャーリー・パーカーは、フランスでは〈最新のジャズ/ビバップの帝王〉みたいな感じで歓待されて、当時はジャズ・ジャーナリストだった作家・詩人のボリス・ヴィアンを通じてサルトルやボーヴォワールと食事をして、一緒にいたマイルス・ディヴィスはジュリエット・グレコを紹介されて恋に落ちた──ということらしいです(笑)。アメリカにいるとどんなに凄いジャズ・ミュージシャンでも辛い目に遭っているし差別されているんだけど、フランスに行くと芸術家として扱ってくれて。
大友:アメリカではまだ公民権もなかったですからね。
池上:ではその喜びを「ヴィザ」で。

M6「ヴィザ」チャーリー・パーカー

池上:そこはかとないコンガが入って。
村井:ちょっとラテンっぽいね。
大友:49年、この頃ジャズにラテン系の人がけっこう入って来ますよね、主に打楽器の人が。
池上:ちょっと入るだけで。
大友:陽気な感じになりますね。
村井:チャーリー・パーカーと並ぶビバップの代表、ディジー・ガレスピーは積極的に自分の音楽にラテン的要素を入れてきたんです。自分のビッグバンドにキューバ出身のチャノ・ポソというコンガ奏者を入れたり、ニューヨークにいる友人のトランペット奏者マリオ・バウサに色々教えてもらって、いわゆるアフロ・キューバン・ジャズというアフリカ系キューバ人のやっている音楽とジャズを合わせたものをやってます。チャーリー・パーカーもすぐ近くにいたわけですから無縁ではなかったと思います。

マイルス・ディヴィスの変化

池上:こうして聴いてくると、サックス、トランペットだけじゃなくトロンボーンまでみんながビバップのフレーズを始めて。
大友:パーカーが出てきてから10年もしないうちにみんなこうなっちゃった。
池上:そこにコンガが入るだけでまた違うものになっていく。その広がり具合がもの凄いですよね。
村井:数年でジャズが変わっちゃった。
大友:近くにいたマイルス・ディヴィスの変化が一番面白い。この頃になるとそろそろクールジャズの方に目が行くじゃないですか。あの辺はやっぱりチャーリー・パーカーがあったからクールになったと思うんです。リー・コニッツもパーカーっぽくないけど、パーカーのようにならないために自分のものを作っていくにあたってはパーカーのビバップがもの凄く元になっているような気がします。あとギル・エヴァンスもそうですよね。さっき〈コード進行が推進力になった〉って言ったけど、ギルとマイルスはコード進行が推進力になるんじゃないジャズをその後作っていく、それがモードで、ほぼコードが変わらない中で音階だけを設定してやる。パーカーはそちらに行く前に亡くなってしまってたし、生きていてもできたかどうかわからない。で、そのモードの中でパーカーがやってきたことをもの凄くちゃんとやって推進したのがジョン・コルトレーンだと思ってるんです。コルトレーンは徹底的にパーカー的ですから、モード・ジャズの中であのやり方をやっていく。だからチャーリー・パーカーの影響や功績はつながっていて、マイルスやコルトレーンは真正面からそれに挑んでちゃんと次に進んでいくんです。で、自分流に解釈して謎な状態になったのがオーネット・コールマン(笑)、ビバップのままさらに凄くしたのがエリック・ドルフィーというのが僕なりの解釈かな、勝手な歴史観ですけど。

ドラマーたちのリズムの話

大友:本当はドラマーたちのリズムの話も面白いんですよね、シンバルのレガートに重心がいくビートがあってこそのビバップだと思っていて、パーカーにシンバルを投げつけたジョー・ジョーンズ、ビバップじゃないけどシンバルに重心を置いた功績って大きいと思うんです。
池上:シンバルを投げつけられてパーカーは悟ったのかもしれないですね(笑)
村井:スイング・ジャズの時代までは、バスドラムは4拍をちゃんと叩いてそれでビートが決まってたんだけど、ビバップになるとバスドラムはあまり叩かずアクセントになってシンバルでリズムを刻む、それを始めたのがパーカーにシンバルを投げつけたジョー・ジョーンズ。
大友:ジョー・ジョーンズの良さなんて若い頃は全然わからなくて、でも今聴くと本当に凄いいいドラマーですよね。その影響下で、シンバルでリズムを刻んでバスドラムのアクセントに行くことによって、小節をまたいでどんどん自由になれた。これはフリー・ジャズ大好きな私の理論でいくと、シンバルに重心が行ったおかげでビートがどんどん自由になれたのがサニー・マレーまで行っちゃって、あれはシンバルの音色だと思うんです、凄く速くシンバルが鳴っているところで小節という概念がなくなっているけどグルーヴ感は残ってる。あれはパーカーのハーモニーの解釈と同時に、色んな人が新しいことをやりだしたからだと思うんです。
村井:ドラムの話で面白いのは、レコーディングのときにノーマン・グランツが、パーカーにバディ・リッチという、誰が考えても合わないだろうなというドラマーを組み合わせるんです。バディ・リッチはスネアとバスドラムでリズムを組み立てる人でビバップっぽくないドラマーなんですけど、ノーマン・グランツはお気に入りだったみたいで。でも今聴くと妙に面白い。
大友:バディ・リッチは華があるんですよね。シンバル中心のドラマーだと、バディ・リッチみたいな華やかな感じが出にくいっていうのはあったかもしれない。
池上:そこはノーマン・グランツのプロデューサー的視点だったんですか。
村井:そうかもしれないけど、不思議な人選なんですよね。だって、チャーリー・パーカー、トランペットにディジー・ガレスピー、ピアノにセロニアス・モンクと揃えて、ドラムがバディ・リッチって、やっぱり不思議なノリなんです、ドラムだけちょっと違って。

ビバップ理論

大友:ビバップはこうだ──という教科書があるわけじゃなくて、当時は作られている最中。その中で、ビバップはこうだ!と強力に教科書みたいにしたのはアート・ブレイキー。彼がきっちり形を作ったものが後々〈新主流派〉と呼ばれるジャズになっていく。でも僕は、パーカーのアドリブの途中で終わってるテイクをリリースしたりする、きっちりしてない方が好きですね。
池上:ジャズですよね。
大友:そうそうそう。
村井:〈こうやればビバップができます〉っていうビバップ理論みたいなものは学校できちっと教えることはできると思うんですけど、バリー・ハリスという人は全然違う理論でビバップを語るんです。日本にもよく来ていて、尚美学園での公開講座を何度か見に行ったんですけど、ピアノの前に座って、トランペットとかピアノを演奏する学生を呼んで、「コンファーメーション」とかやらせるんです。バリー・ハリスは最初 “なかなかいいね”とか言って横で見ていて、そのうち、“君のここのコードは違う、チャーリー・パーカーたちはこういうコードは使わない”って断言するんです。バリー・ハリスの中では「コンファーメーション」はこうやって弾くんだ、という決まりがあるみたいで、それがどこが違うのか分からないところがあるんですけど、ちょっとした一音の違いらしくて、その独自の理論で、〈あるコードとあるコードは友だち関係だ〉みたいなことを言うんです。生徒にCとAのコードを同時に弾かせてカッコいい響きになると、“CとAは大変なフレンズなんだ“と。彼の中では組み合わせで鳴っている音の組み合わせがあって、それでコードを探っていくとビバップができると。
池上:それはチャーリー・パーカーから習ったんですか?
村井:いやぁ……バリー・ハリスはバド・パウエルとやっていたから、バド・パウエルから教わったかもしれないですね。
大友:今はバークリー・メソッドが有名になってしまっていますけど、色んなやり方はあったんでしょうね、結果的に出る音が同じでも。だから当時なりに色んな理屈があったはずで、それが一つの形になると音楽がクラシック化してしまうと僕は思っています、でもそうしないと学校じゃ教えられないですから。
池上:最初からできあがっているように見えるけれども、実はそうじゃない部分もたくさん残している。
大友:パーカーがアドリブを途中でやめた音源を発売したり、テーマもちゃんとなくてアドリブだけっていう音源もあったのは相当画期的で。それを聴いて育った人たちが、〈こういう風にやらなければパーカーじゃない〉と固まっていって何重にもなって、パーカーがやり飛ばしたことがスタンダードになっていくという繰り返しでジャズの発展が何世代も経っているような気がするんです。だから本当のことを言ったら、パーカー・メソッドとかバークリー・メソッドだけじゃない自分流のやり方をしていいんだと、僕は思っているんですよね。パーカーはジャズを開いたけれど、こうしなさい、と言ってるわけじゃないんです。そこにいっぱい可能性の種があったからジャズはこんなに発展した──と。
村井:チャーリー・パーカーにはその音色の凄さとか美しさとか太さとか感情表現の素晴らしさとか、理論じゃないところがあるわけですよね。
大友:素晴しい歌手の歌を聴いてるみたいに、一音聴いただけでうあわってなる。ビバップとかどうとかじゃなくて、凄いサックス吹きなんです
池上:「バード」にも、〈パーカーはトマト缶を吹いてもあの音が出るだろう〉って書いてあります(笑)。サックスもなんでもよくて、今スミソニアン博物館に保存されてるキング社製の特製サックスを質に入れて、プラスティック製のサックスは質草にならないから手元に置いて吹いていたそうで、プラスティックの方は未亡人が持っていて今はカンザスのミュージアムにあるそうです。まぁ、どんな楽器でも凄い音が出せちゃう人。
大友:パーカーはリズムがもの凄く良くてそのグルーヴ感の気持ち良さもあるし、さらにちょっとメロディを吹いただけでもグッとくるものを持ってる。だから、ウィズ・ストリングスみたいなものも成立するんです。

今の時代のチャーリー・パーカー

池上:で、そろそろまとめに入らせていただきますが、今回のテーマ「生誕100年、チャーリー・パーカーが2020年に遺したもの」とは何か? というところなんですけど。今、ほとんどのジャズがパーカー由来と言っていいくらいの印象を受けるんですけど。
大友:いやいや、ちゃんとカウント・ベイシー由来もあるし、今は本当に色々なものが聴ける時代になったので、一つのものだけが由来ではないと思うんです。ただ色々なものが聴けたお陰で、当時パーカーが何をやったかということは、研究家でなくてもその前後の音楽を聴きながら参照できる。音楽家の立場で言えば、立体的に色んな音楽を聴いて自分の音楽を作れる時代になったので、今の時代のチャーリー・パーカーは実はジャズとは全然違う形であるのかもしれない、と思っています。
村井:我々60歳前後の世代にとって、ジャズを聴き始めた頃はチャーリー・パーカーって凄く遠い人って感じだったんですよ、ロリンズやコルトレーンは近い人で、パーカーは昔の人だという印象。でも今は、パーカーは現代に近いと思えるんです。今の若い人に話を聞くと、例えば、“ロバート・グラスパーが好き、でもチャーリー・パーカーも好き”だったり、ドラムは?って聞くと、“最初メタルをやってたんですけど、今一番好きなのはフィリー・ジョー・ジョーンズです”とかって人がいるので(笑)、歴史的に見るとある意味凄いフラットな視点なんです。新しい古いは関係なく、自分が今一番カッコいいと思うものを聴ける環境にあって、チャーリー・パーカーと全然違うジャンルの最新の何かを一緒に聴いて刺激を受けて、また新しいものを作る人が出てくる。それが面白いですね。
池上:結論として、チャーリー・パーカーは時代を超えて凄い存在だ、ということは間違いない。
大友:さっき前半で言っちゃったけど、譜面じゃなくて、録音した音楽を聴いて何かを発見する──ということの最初の在り方で、そういう意味でチャーリー・パーカーを再評価していいというのと、今、とんがった音楽ってハーモニーの進行でどうこうじゃないものがずっと続いていたんですけど、最近また変わってきて、その際にチャーリー・パーカーがあの時点で前の音楽に対して何をやったかというのは凄く参考になる気はしてます。もっと言っちゃうと、それがあったからクール・ジャズとかモードとかフリー・ジャズも出てきたと考えると、凄く面白い視点でもう一度ジャズ史を見直せるなと思うんです。学校で勉強してパーカーのように吹くことだけがジャズになるんじゃなくて、今はもっと幅広く聴いている人が多いので、逆に自由に色んなものが解釈できる時代になってると。
池上:最後にまた、いただいた質問にもお答えします。
Q:チャーリー・パーカーのことからは少し外れますが、その後SPがLPに変化したことで音楽が影響を受けたところはありますか?
大友:あると思います、アルバムって概念が生まれましたから。SPの時は単体の一曲なんですけど、LPだとアルバムになる。ジャズ界だと多分マイルスがそういうことを考えたと思うし、ロックはアルバムの歴史でもあるから、A面B面45分で作品を考えるという大きな変化が。あと、これはジャズよりロックが先にやった変化ですけど、音がハイファイになってきたので本来のバスドラムの音より凄いバスドラムの音を作ったりとか、後々の音楽につながる形はそこで出てきて、それがレコード盤をこするDJカルチャーにもつながっていって。だからパーカー以降は、録音物と実際に演奏する人たちとの間の化学反応が山のように起こったのがポップスの歴史だと思ってます。
村井:LPって回転数が遅いので片面にたくさん時間がとれて、SPは片面3分から3分半。ジャズの方で言うとLPの時代になってマイルス・デイヴィスは「ディグ」という曲をやるんですけど、これが8分くらい。それまではレコーディングされた物ではその長さの曲はなかった。だからメディアの違いは凄く音楽に影響を与えるんですね。
大友:モード・ジャズってある程度時間がたっぷりないと表現できないから。
村井:3分だとモード・ジャズの曲は何もやらない内に終わってしまう(笑)。かといって80分入るCDにふさわしい音楽ができたかと言うと、そうでもない。
大友:逆にだらしなくなったんじゃないかな。だから今、ネット配信になってそこは凄く変わっていくと思います、何の制限もないので自分で決められる。
池上:この話はまたどんどん膨らませていけそうですが、時間になってしまいました。「生誕100年、チャーリー・パーカーが2020年に遺したもの」、色々な新しい発見もありました、ありがとうございました。
大友:あ、まず『バード チャーリー・パーカーの人生と音楽』を是非読んでください、面白いから。今年はこれ以外にもたくさんいい音楽本が出てますので、ステイホームの時間に是非。
池上:ありがとうございました、大友良英さんと村井康司さんでした。
大友:どうもありがとうございました。
村井:どうもありがとうございました。
(場内大拍手)
■『バード チャーリー・パーカーの人生と音楽』
チャック・ヘディックス 著、川嶋文丸 訳
四六判/368頁/本体2,500円+税/発売中
ISBN:978-4-401-64839-9