<プレス・リリース> (2018年9月24日、ロンドン発) ―― 1968年11月、数百万セットの2枚組LPが世界中のレコード店に向けて出荷された。騒乱に満ちたこの年、そのレコードの登場は、世界中の音楽ファンにとって、どんなものにも勝る最大のニュースになった。1968年11月にリリースされたそのレコードが“The Beatles” ―― やがて“The White Album”と呼ばれることになるダブル・アルバムである。ザ・ビートルズは、通算9作目に当たるこのアルバムで、人々をそれまで体験したことのない世界に誘った。『The Beatles』は扇動的なジェット機の逆噴射音を伴い、ポール・マッカートニーが、エネルギッシュで活力に満ちたヴォーカルを披露する“Back In The U.S.S.R”から始まる。続いて登場するのはジョン・レノンの“Dear Prudence”で、ここで彼は友人たちと、私たちみんなに向かって穏やかに手招きし、“look around(周りをよく見てごらん)”と呼びかけている。そしてジョージ・ハリスンは“While My Guitar Gently Weeps“で、”With every mistake we must surely be learning(僕たちはあらゆる過ちから、何かを学び取っていかなければならない)“と歌い、私たちに普遍的な知恵を授けてくれた。このアルバムにはまた、リンゴ・スターの単独作とクレジットされた初めての楽曲“Don’t Pass Me By”も収録されていた。
リリースから50年のあいだ、“The White Album”は、その多彩で野心的な音楽で新たな聴き手を虜にし、喜びと刺激を与え続けてきた。来たる11月9日、ザ・ビートルズはその”The White Album”の50周年を記念した豪華パッケージを複数のフォーマットでリリースする(Apple Corps Ltd./Capitol/Umeから)。”スーパー・デラックス・エディション“には、プロデューサーのジャイルズ・マーティンとミックス・エンジニアのサム・オケルによって新たに制作されたアルバム所収の30曲の新規ステレオ・ミックスと5.1サラウンド・ミックス、さらにアルバムのレコーディングに先立って録音された27曲のアコースティック・デモ、アルバムのセッション・テープから起こされた50テイク(その大半は完全な未発表音源)が収録される。
ポール・マッカートニーは今回リリースされる”The White Album”のアニヴァーサリー・エディションに以下のような序文を寄せている。「僕たちは陽を浴びた天上の世界で演奏するためにペパー軍曹のバンドを脱退した。そして地図も持たず、新たな方向を目指し始めたんだ。」
”The Beatles (White Album)”のリミックス・ヴァージョンがリリースされるのも、この作品が、デモ音源やセッション音源を追加した拡張版としてリリースされるのも、今回が初めてである。2017年に発表され、全世界で高い評価を受けた“Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band”の一連のアニヴァーサリー・エディションと同様、”The White Album”も、今回のアニヴァーサリー・エディションで、まったく新しい作品に生まれ変わっている。”The White Album”のニュー・ステレオ・ミックスと5.1サラウンド・ミックスは、マーティンとオケルが、ロンドンのアビー・ロード・スタジオのトップ・クラスのエンジニアと音源修復のスペシャリストとの共同作業を経て完成した。”The White Album”の“アニヴァーサリー・エディション”は複数のパッケージで発売されるが、アルバム収録曲の新規ステレオ・ミックス(制作にはオリジナルの4トラック/8トラックのセッション・テープが使用されている)は全パッケージに収録される。ジャイルズ・マーティンはこれらの“ニュー・ミックス”の制作に当たって、父ジョージ・マーティンがプロデュースした68年版のオリジナル・ステレオ・ミックスを参考にしたという。
「”The White Album”をリミックスする際、僕たちが心がけたのは、ザ・ビートルズがスタジオで奏でていたそのままのサウンドを届けることだ。」これは、ジャイルズ・マーティンが今回のパッケージに寄せた序文の一節だ。「僕たちは、”Glass Onion(ガラスの玉葱)”の皮を1枚ずつ剥がしていった。そうすることで、アルバムに親しんできた人たちにも、今回初めて”The White Album”を聴く人にも、きっと作品に没頭してもらえると思った。この、歴史上例のないほど刺激的で、多様性に富んだアルバムにね。」
必要最小限の要素のみから成る、”The White Album”のミニマリズム的なアートワークを手がけたのは、イギリスのポップ・アートの草分け、リチャード・ハミルトンである。見開きジャケット(ジャケット上方からレコードを挿し込む形になっている)の裏、背、表の地色は白で、表側に箔押しされた”The BEATLES”の文字、背面に、カタログ・ナンバーと、同じ”The BEATLES”の印字があるのみ。ただし、初期プレスの表面には個別の通し番号も印字されていた。今回リリースされる”The White Album”の”スーパー・デラックス・エディション“には、それら初期プレスに倣い、ナンバリングが施されている。この”スーパー・デラックス・エディション“は、164ページのハードカヴァーのブックレットに、CD6枚とブルー・レイを収納した特殊仕様になっており、4枚のカラー写真と大判のポスターも同梱されている。写真はジョン、ポール、ジョージ、リンゴのポートレートでいずれも光沢紙を使用。ポスターは片面にさまざまな写真のコラージュ、片面に英詞を記載したもので、どちらもLPに封入されていたものの復刻版になっている。ハードカヴァーのブックレットにはメンバー手書き/メモ書きの歌詞やレコーディング・シート、テープ・ボックス、アルバム発表時の広告等々を含む貴重な写真資料(ここで初出となるものも含まれている)を掲載。さらに、個々のトラックの詳細な解説、“Sgt. Pepper”のリリースから“The White Album”の完成に至るまでの時期をカヴァーしたセッション・ノート、1968年7月28日にロンドン周辺で行われたフォト・セッション“Mad Day Out”、”The White Album”のアートワークやそのリリースに至るまでの経緯、同作の計り知れない影響力等に言及した膨大な文字資料が掲載されている。執筆者は作家/ラジオ・プロデューサーで、ビートルズの歴史の研究家でもあるケヴィン・ヒューレット、ジャーナリスト/作家のジョン・ハリス、テート・ブリテン(国立美術館)で近現代美術部門の主任を務めているアンドルー・ウィルソンの3名。また、ポール・マッカートニーとジャイルズ・マーティンも共に書下ろしの序文を寄せている。
“The White Album”収録曲の多くは、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人が、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの“Academy of Transcendental Meditation”で学ぶために、インドのリシケーシュに滞在していた1968年2月から4月かけて、彼の地で書かれた。ジョン・レノンは、このとき、3人より一足早くイギリスに帰国したリンゴに宛てたハガキに以下のように記している。「俺たちは、もうLP2枚に纏めるに十分な楽曲を書き上げている。ドラム・セットを準備しておいてくれよ。」
1968年の5月の最終週、ザ・ビートルズの4人はサリー州はイーシャーのジョージの家に集まり、これらの楽曲のうち27曲のアコースティック・デモをレコーディングした。“イーシャー・デモ”として知られるこれら27曲のデモは、今回、オリジナルの4トラック・テープから起こされ、”The White Album”の”デラックス・エディション“と”スーパー・デラックス・エディション“に収録された。なお、この27曲のうち21曲は、ほどなくスタジオに場所を移して始まったレコーディング・セッションでも取り上げられ、19曲が”The BEATLES (The White Album)“の収録曲として陽の目を見ている。
”The BEATLES (The White Album)“のスタジオ・セッションは、1968年5月30日にアビー・ロード・スタジオで始まっている。以降、およそ20週間に亘って、ザ・ビートルズの4人は大半の時間をニュー・アルバムのレコーディングに充てている。この間、アビー・ロードを離れ、トライデント・スタジオでセッションが行われることもあった。そして10月16日、グループはプロデューサーのジョージ・マーティンとともに、アビー・ロードで24時間に及ぶマラソン・セッションを敢行。この際、アルバムの曲順が決められ、個々の楽曲のエディットやクロス・フェードといった作業が行われ、”The White Album”のセッションは完了した。ザ・ビートルズの面々は、”The White Album”のレコーディングに、”Sgt. Pepper”のそれとはかなり異なったアプローチで臨んでいる。”Sgt. Pepper”は、マルチ・トラック・テープに、個々のメンバーがそれぞれにオーヴァーダビングを重ねていくことで完成させたアルバムだったが、”The White Album”のレコーディング・セッションの大半では、メンバー全員が揃って演奏と歌唱を披露し、それを4トラック/8トラックのテープに記録していくという手法が取られた。この際、彼らは同じ曲の録音を数え切れないほど重ねていくこともあり、この点は今回の“スーパー・デラックス・エディション”所収の“Not Guilty”(オリジナルの“The BEATLES (The White Album)”には収録されなかった)の“テイク102”にも明らかな通りである。こうした”スタジオ・ライヴ“的手法を採用した結果、”The White Album”はよりシンプルで自由度の高いアルバムになった。そしてこうした作風の変化は、ロック・ミュージック全体のあり方を変化させ、後年のパンク・ロックやインディ・ロックにも影響を及ぼすことになった。
“The BEATLES (White Album)”はザ・ビートルズが、自身のレーベル、アップル・レコーズからリリースした最初のアルバムで、イギリスではモノラル盤、ステレオ盤の2種、アメリカではステレオ盤のみが発売されている。このLP2枚から成るこのアルバムは瞬く間にベストセラーになり、イギリスではチャート入りと同時に1位をマーク。以来8週に亘って首位を維持し、計22週のあいだチャート圏内に留まっている。アメリカのチャートでも、“The White Album”は初登場と同時に首位に輝いたが、こちらでは9週に亘ってそのポジションを維持。65週ものあいだチャート圏内に留まり、その後も、幾度かチャート入りを繰り返した。ローリング・ストーン誌の創始者の一人、ヤン・ウェナーは同誌に掲載されたレビューで”White Album”を熱烈に支持し、以下のように記している。「これは彼らがリリースしたアルバムの中で最高の1作だ。より優れたアルバムを作ることができるのは、ザ・ビートルズだけだ。」2000年、RIAA(アメリカ・レコード協会)は“The White Album”のセールスが950万セット(1900万枚)を超えたとして、”19× Platinum“に認定(RIAAは100万枚のセールスを上げたアルバムをプラチナ・アルバムに認定している)。また、同作は米レコーディング・アカデミーからも、その”恒久的な質的/歴史的な価値“を認められ、同協会の設立したグラミーの殿堂(グラミー・ホール・オブ・フェイム)入りを果たしている。