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ドキュメンタリー『ブルース・ディッキンソン サラエボの叫び』 新たな海外版トレーラー映像が公開

2018/07/06 06:04掲載
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ドキュメンタリー・フィルム『ブルース・ディッキンソン(アイアン・メイデン) サラエボの叫び』
ドキュメンタリー・フィルム『ブルース・ディッキンソン(アイアン・メイデン) サラエボの叫び』
アイアン・メイデン(Iron Maiden)ブルース・ディッキンソン(Bruce Dickinson)がボスニア紛争(1992〜1995年)真っ只中の1994年に、ボスニアの首都サラエボで行ったコンサートに焦点を当てたドキュメンタリー映画『ブルース・ディッキンソン(アイアン・メイデン) サラエボの叫び』(原題:Scream For Me Sarajevo)。新たな海外版トレーラー映像が公開



この作品は日本でのDVD/Blu-rayリリース8月1日に決定しています。日本盤限定ボーナス映像、日本語解説書封入、日本語字幕付き。リリース元はワードレコーズ

以下は以前に公開された映像

海外版トレーラー


日本版予告編映像
■ドキュメンタリー・フィルム『ブルース・ディッキンソン(アイアン・メイデン) サラエボの叫び』

【日本盤限定ボーナス映像/日本語解説書封入/日本語字幕付き】

<作品紹介>
1994年のサラエボは、完全に包囲されていた。迫撃砲と手榴弾は、雨のように容赦なく街に降り注がれた。
この狂気沙汰であるボスニア紛争の最中、"地元ファンのためにショーを見せてほしい。"と世界的ロック・スターを説得することができますか?

映画「Scream for Me Sarajevo(サラエボの叫び)」は、サラエボの街がまさに包囲された最中の1994年に、世界ナンバーワンのメタル・バンドのフロントマン、ブルース・ディッキンソンと彼のバンド"スカンクワークス"が体を張って実現した、奇跡の話。これは、ブルース・ディッキンソンのショーを実現するために、凄まじい戦争の惨事に抗いながら自らの命を賭した人々の映画です。歴史に残るギグの映像は勿論のこと、当時ライヴを企画実行した人々、ライヴに出演した人々と再会し、当時のことを振り返ります。残虐な殺戮が彼らの周りで起きているにも関わらず、進み続けることを決心したバンド、クルー、セキュリティーのインタビューでは、とても危険な状況下で実現したエピソードが語られた。「我々の安全は、保障されることなく、無謀だった。勿論、弾丸は本物だったが、とにかく俺たちはサラエボに向かった。」と、ブルースのベストセラーの自叙伝『What Does This Button Do』で語られている。「ギグは、集まってくれた観衆の為、そして、我々自分たちの為におこなった世界最大のショーだった。世界がその事実を知らなかったことは問題ではなかった。それは、自分の人生や死、自分以外の人たちに対する見え方が一変した瞬間だった」

「我々の安全は、保障されることなく、無謀だった。勿論、弾丸は本物だったが、とにかく俺たちはサラエボに向かった。」    _ブルース・ディッキンソン(自叙伝『What Does This Button Do』より)

「ギグは、集まってくれた観衆の為、そして、我々自分たちの為におこなった世界最大のショーだった。世界がその事実を知らなかったことは問題ではなかった。
それは、自分の人生や死、自分以外の人たちに対する見え方が一変した瞬間だった」_ブルース・ディッキンソン

受賞歴:
サラエボ映画祭:観客賞 人権賞 特別審査員賞(ドキュメンタリー)、シカゴ国際映画祭(アメリカ):最優秀ドキュメンタリードキュメンタリー、DokuArt Bjelovar(クロアチア):Audience Award、若手審査員賞
dokuMfest(ボスニア・ヘルツェゴビナ):ベストドキュメンタリー、ツズラ映画祭(ボスニア・ヘルツェゴビナ):ベストドキュメンタリー 等受賞


映画公式サイト https://wardrecords.com/page/special/dickinson/

(c)Prime Time Productions